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【値決め】お金をいただくのに「うしろめたさ」はいらない

商売において、「適正価格」とは市場の平均値から割り出したそこそこの金額のことを指すのではない、という話

先日依頼された案件の内容。

1年以上も前の見積書をもとに仕事の発注があったのだが、この1年の間に様々な事情から仕入価格の改定が何度もあり、1年以上も前の見積書の内容ではとても飲み込めないゆえ、再見積りの提出をさせていただいた。

先方は値上がりを反映した再見積りに渋々承諾をしたが、いまいち納得はしていないご様子。だが、そんなときでもわたしは決して「うしろめたさ」のような感情は持たないようにしている。



業種によっては、業界で決められた平均的な相場のもと、値決めをしているのだと思うが、目に見えない付加価値を価格に反映させて利益を得る、という行為は違法ではないし、ルール違反でもない。

むしろ正当な主張からなる要求であり、自分が提示した金額にその価値がある、と信じていれば胸をはって求めればいい。それが市場に受け入れられなければ売れないだけで、その責任は自分で負うハメになるだけだ。



よく経営者の中で、値上げや真っ当な金銭の要求に「うしろめたさ」の感情をもち、自信なさげに乏しい利益を乗せただけの価格をしめす方がいるが、自社が価値のある仕事をし、その代価を要求するのは商売上、当然のことと考え直した方がいい。

どうも世の中にはお金を多くいただくことに否定的な感情を持っている人が少なくない。「お金儲け」というワードがネガティブで下品な印象を与えるのか、自分がしていることはもっと崇高な営みだと勘違いしているように思うのだ。



商売の本質は社会に価値を提供してその分の代価を得ることだ。それを言い換えたのがお金を儲ける、ということであり、人をだましてお金を引き抜くような犯罪ではない。

労働は尊い、とわたしは本気で思っているが、その労働とは世間のイメージだと文字通り汗水たらし、苦労してわずかなお金を得るということのようだ。

汗もたらすし、苦労もする。ようは価値を提供することに真剣に努力するという姿勢は当たり前のこととして、その真剣度に見合ったお金を得る、という主張は下品な話でも何でもない。



だからこそ「わたしはこれぐらい欲しい」と宣言するのは勝手であるし、その主張と顧客の感覚のズレが生じていれば、市場から弾かれるだけ。

おそらく大半の経営者が、主張を受け入れられない場合のケースを想定してしまい、気持ちはもう少し欲しい、と感じているものの表面に出せずにいるではないだろうか。



うしろめたさや自信の無さで削られた利益はそのまま従業員や会社に影響を及ぼす。本気で働いている人の価値を信じている経営者が胸をはって主張することの大事さを持つことで守られるものがあると考えて欲しい。

値決めは自身の価値と市場とのバランスにより選択できるもの



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