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あるギフティッド児の長期追跡記録と弟妹・家族

ここ数ヶ月、ギフティッドをテーマに長男について書いている。夫が書いてみたらと言ったのがきっかけだった。書くなら子供達の将来に役立つ形が理想と言われ、それに誰か困っている人の参考になるかも知れないし、今の気持ちを書いて置いたらと言われて、こんなこともあった、あんなこともあったというのを、その時親がどんなことを感じていたかも交えて書いてきた。

何度か夫に自分で書きなよと言ったのだが、そんな時間はないと言う。人に書くよう勧めておいて何だと言う話だが、でも書いているうちにニッチなテーマにも関わらず書いておきたいという気持ちは日に日に増すようになった。

なぜだろうと考えてみたら、理由はいくつかありそうで、まず書いていて単純に楽しい。あとは子供にとっての成長記録は保育園の時は毎日ノートに書いていたが、小学生になって書かなくなっていた。そうすと忘れる。子供もいつか振り返って、へ~そんなこともあったのかとか、思い出せると良いのではないかと思っている。

子供がいつか読むことを念頭にはおいているものの、保育園ノートにせよ、毎回子供目線でチェックをかけているわけではない。実際のところ、子供が読まなかったとしても、このまま書き続けるだろうなと思っている。

子供が読むかどうかは子供が決めればよい。一応、悪いようには書いていないつもりで、本心良かれと思ってやっているが、有難迷惑であったら申し訳ない。あとせっかく私が書くのであれば、子供にもいつか伝えようと思っていた海外留学の話も書いておこうと思う。とくに宗教との出会いは強烈だった。宗教というものがあるのは知っていたし、日常に根付いていることは知っていたが想像を超えていた。

一次情報としての長期追跡記録

ギフティッドに関しては誰かが書き残さないと的な気持ちが沸いてくるテーマになりつつある。まだ日本ではさほど知られてもいないテーマなので、長期追跡記録として残せば有用な一次情報になり得るのではないかと思っている。

長男を連れて大学病院を受診した際も、大学の研究に利用しても良いかという紙には躊躇無くサインした。併せて、長男についてワード15枚くらいにまとめたものを持参したのも、我が家が困っていて、その状況が口頭で説明するには無理があると思ったこともあるが、形にすれば後々まで使ってもらえたり、医師同士で共有するにも直接読めた方が手っ取り早いと思ったからだった。

助けてもらいたいのと同時に、どうか使ってください、という気持ちが私にも夫にもあったのだと思う。

病院からの帰りに道に、「検査の結果とか治験に使ってもらいたいよね」という話をすると、長男は「でももうMRIは取りたくないけどね」と言っていた。MRIは検査中の音が相当大きいらしい。検査の後1ヶ月くらい音に敏感になって、ズボンが擦れる音も気になるようになってしまい、素材によっては履き替えるほどだった。ギフティッド児も脳のことを調べたら色々分るのかも知れないが、長男はこれはお断りのようだ。

それでnoteであれば、長男にも負担のない形で、長期に渡る追跡データ、観察記録を残せるのではないかと思った。これがどう役立つかはわからないし、誰かに無断で使って欲しいというのとも違うのだが、頭の片隅に入れて活かしてもらうのも良し、その他ポジティブな形で使ってもらえることがあるのであれば嬉しいと思う。私自身、追跡結果から何が見えるか楽しみだ。

ギフティッド児と長期間に渡ってここまで至近距離で接することができるのは、親しかいないだろう。親であればデータ・情報収集にはコストも時間もかからない。

そこには少し幅広く、両親のこと、弟妹のこと、そして3人兄弟それぞれに合わせて親がどんなことを考えて育てようとしたか等も書いていけたら理想だと思うようになった。

次男や長女についても当然ながら同じくらい愛情を持って、そして興味を持って日々接し方を試行錯誤している。次男は次男でとても面白い。長男と同じ物を与えてもうまくいかないだろうと思っていて、次男は我々にとって違う意味で刺激的だ。長女はまだかなり幼いのだが、最近存在感がかなり出てきた。

言ってみれば、ある一家庭の子育て日記ということになるのかもしれない。そこは、やはり親としては長男だけでなく、次男や長女のことも同じだけ大切なんだということが伝わるようにしたいという気持ちがあり、敢えて別のnoteを立てずともと思っている。一緒にしてしまうとどうしても兄妹の比較になってしまいそうなのだが、それは本望ではないことを記しておく。

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