喫茶とストローと母

 この春から、何度か通っている喫茶店がある。前から存在は知っていたし、家から遠いというほどでもないし、なんなら自宅の最寄駅の沿線にあるのだけれど、ほかにそちら方面に用事があるわけでもなく、個人的な理由でちょっと避けていた部分もあって、最近まで行ったことはなかった。
でもある日別のお店で店主を見かけ、その雰囲気につよく惹かれるものを感じ、意を決して行ってみたら、今までくだらない意地を張っていたことを後悔するくらい、ほんとうにすてきなお店だった。今日もやさしい空間に癒されるから、そこに行くためだけに家を出る。

 何度か目の来店の際、普段はあまり話しかけてはこない店主がわたしの好きなキャラクターのストローを奥の倉庫から出してきて「ギマさんがきたら初めて使おうと思って」と言ってくれたとき、たった数回交わしたさりげない会話のいろいろを覚えていてくれたことや、その心遣いにとてもうれしくなったのを覚えている。それから、行くたびにストローの袋を見てはいつもしあわせなきもちになる。

 外はうだるように暑く、ああ、わたしの好きなエッセイストは茹でるに「うー」とルビをふるひとだったな、なんて思いながら、自家製のメロンソーダを飲んで、本を読む。そろそろ帰ろうかしら、と思ったとき栞になるものを何も持っていないことに気付く。
このストローの袋を使おう、とおもって本に挟んだ瞬間、幼き日の記憶が蘇った。わたしの母は喫煙者で、むかしはよくたばこの吸える行きつけの喫茶店に連れて行ってくれた。「この店で父とのお見合いの話を受けたんだ」なんて話をしたりして。そしてストローの紙袋をぎゅぎゅぎゅ、とちぢめるようにして、灰皿に乗せ、ストローでスポイトのように水を一滴垂らすと、いもむしのようにストローの袋がうにゃうにゃと動くのであった。

 「あんたみたいなアバズレ、娘じゃない」と言われたったきり、「申し訳ないけれど、お母さんの望むようには生きられないから、縁を切りたい」と言ったきり、連絡を取っていない母。大病をしても「あんな女に連絡するな」と父に意地を張ったらしい母。幼少期から家を出るまで、医師からは「それは虐待だ」と言われた母とのエピソードはたくさんある。
でもわたしはちゃんと知っている、彼女はとても不器用な理想家なだけなんだ。わたしが彼女と暮らすのが苦しかったように、彼女もまた彼女の母に、そしてわたしに苦しめられていたんだ。もしかしたら、いまも。理想の家庭を一緒につくってあげられなくて、理想の娘になってあげられなくて、ごめんね。ごめんなさい。それでもストローのいもむしは、確かに母とわたしのしあわせな思い出なのである。

 気付くと出ていた涙がひっこんだことを確認してから、お会計をすまそうと立ち上がる。店を出るとき、少なめで頼んだごはんのお皿に乗せなかったぶんを包んでくださって、またやさしいことばとお手紙をもらった。「ありがとうございます、よるごはんにしますね」と、ひっこんだ涙がまた出てこないように、気をつけて帰った。

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