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楽をすることから考える

「楽をすることから考える」というテーマについて書くんですけど、
私自身が過去にメンタルを病んでから復活する時に意識していたことなんですけど、楽をしようとするって精神疾患の人に限らず、日本人にとっては結構難しいことなんじゃないかなと思っています。

なんでかというと、日本特有の文化で我慢するとか、耐えることが美徳とされていたり、時間をかけて努力したり頑張ることが一番大事なことなんだと幼少期の頃から教育されたり、そもそも楽をしようとすることは悪なんだということも教育されるので、無意識にそう思い込んでいる人が多いと思います。

もちろん、結果を出したり、何かを成し遂げたりしようとすると時間をかけて努力したり、我慢する場面の方が多いと思いますし、そうあるべきだと思うんですけど、今回のお話は自分を無理に押し殺してまで生きる必要は無いよねってお話です。

なぜこのテーマについて書こうと思ったかというと、私自身楽をしようとし始めてから人生がかなりうまくいき始めたからです。

まずは「楽をする」ってどういうこと?っていうところからだと思うんですけど。

私の中の「楽をする・楽をしている」という定義は、
「自分が心地の良い状態」のことを指しています。

具体的に自分の心地良い状態ってどんな時?って思い浮かべると色々あると思うんですけど。

例えば、私が過去にメンタルを病んでいる時だったら、家に引きこもっている時や連絡も全て断って家にいる時が心地良かったり。

今は資格の勉強をしているんですけど、資格の勉強をしている時が自分にとっては心地良く感じています。

今振り返ると、メンタルを病んでいる時は家に引きこもっている時が自分にとって心地良くて、いつの間にか家に引きこもることに不快感を感じるようになって外に出ることを始めたっていう感じですね。

学生時代は部活動でどうやって自分が成長するのか考えながら、練習することが心地良い状態だったから休みなく練習をすることができました。

また、子供の頃はゲームをすることが楽しくて時間を忘れて熱中していました。

ここの心地良い状態って本当に人それぞれなので誰かと比較する必要は全くなくて。

人によっては、ずっとパソコンを触って仕事をしたりゲームをするのが楽しいと感じていたり。
もしくは、農業をすることだったり、趣味で園芸をすることに幸せを感じていたり。
学生時代の友達は皆、会社の愚痴ばかり言っているけど、自分は仕事を通じて成長することや所得を上げることに価値を感じていたり。
逆も然りで、学生時代の友達は皆、仕事ばかりしているけど自分は仕事は程々で趣味のツーリングやバイクを改造したりすることを楽しいと感じていたり。

こんな風に自分の心地良い状態で常にいることが大切なんですよね。

愚痴をいうことが心地良ければずっと不平不満を述べていても良いし、飲み会が嫌であれば断っても良いし、YouTube見るのが好きであれば休日に無理に外出をする必要は無いですし、嫌いな人とは人間関係を築く必要は無いですし。

そのほうが自分で自分のことが好きな状態ですし、自分を偽り続けると他人にも優しくできなくなります。

私自身、過去に自分ではコントロールできない外部環境や他人に対してずっと不平不満を言っていた時期があるんですけど。

その時も最初は愚痴ばっかり言っていることが快感だったんですけど、段々と愚痴を言っていたり、不平不満を言っていた自分に飽きてきたり、自分のことが情けなくなったりしてくるんですね。

この状態が結構大事なことだと思っていて、良いことでも悪いことでも心地良い状態をずっと続けているとそれに飽きてきたり、「もう良いや、次に行こ」という心境の変化があったりするので、これを読んでいる人も無理に現状を変えずにそのまま、在りのままで良い、と言いたいです。

そして自分の心の底から感じている感情を丁寧に見てあげて、感情の赴くままに進んだ方が幸せになれます。

人生は論理より感情の方が正解なので、自分で自分のことが好きな人が増えますように。


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