(連載79)デザイナーとアーティストの両方を追えるのか?:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:2014-5年
「デザインとアートの両方が重なる領域」のというのを長いこと考えてきて、今、振り返ってみたら、2014から15年にかけてというのは、この問いを今一度、根本的に考え直す時期だったなあ〜、と。
「アートとは何か?」「デザインとは何か?」というのは、読者の方々もそれぞれ、いろいろとお考えがあると思うので、それ自体の定義はここでは、ちょっと一旦、おいといて、、、、、今は、ちょっとぼんやりとした枠組みのイメージだけで、お願いします。
まあ、あえて、ゆうたら。
アート=好きなものを作る。
VS
デザイン=最初から売る目的で作る。
ぶっちゃけ、こんくらいのざっくりでしか、私は考えたことなかった。汗
もっと、物事を深く考えみろや〜!
でも、この時点で、実際に自分は両方をやってたわけです。
つまり、服をアートとして、発表してたし、仕事は服のデザイン(古着のリメイク)だったので。
ちなみに音楽も(本気で)やってましたが、こちらは、社会的には趣味ってことになってました。苦笑
で、アートとデザインの両方をやっている、この二つがまったく別のものだったら、問題ないと思うんですよ。
たとえば、彫刻をやってるウェブデザイナーとか。。。。また、茶道をきわめるグラフィック・デザイナーとか。
使う脳みそが違う部位だったら、ごちゃごちゃしないと思うんですが、私の場合は
テーマがいつも衣服
なので、同じ脳の同じ部分を使って物事を処理してるような気がしてて。
それもあって、「デザインとアートの両方にまたがる領域」というのに注目して、デザインのようなアートだったり、アートのようなデザインだったり、と、曖昧な境界線にあるもの、あえてその辺りが「自分の活動の場」だと決めつけて活動していました。
でも。。。
デザインとアートの両方にまたがる領域て何???
深く、考えてみたら、、、。
もしかして????
それって?
ない? の では?
つまり、アートはアート、デザインはデザイン。で、ぜんぜん、別物。
そのどっちもに、重なるものは、
( ( ( ない? ) ) )
それに気がついてしまった。。。。。
今頃?
だからちゃんと考えろ!って言っただろ?
神様はとっくにおらんのだから!!
いや、とっくに神様は死んでおられるのは、わかってましたが、
もちろん、アートの中のデザイン性とかデザインの中のアート性というのは、存在すると確信してたので、まあ、色々そのあたりを混ぜていいのかな?って。
しかし、デザインとは、何かの目的に使うものであって、アートはアート以外で使えたら、アートじゃない。
逆にいうとアート作品がアート以外になっちゃったら、アート作品と呼べなくなるのだ!
アートとデザインは、まったく別物だったのだ!
それに気がついたのは、ある出来事があったからなんです。
この年に開催された小さいローカルのアートフェアの話です。
ロサンゼルスのダウンタウンに、アーティストが持っているロフトが集結しているエリアがあって、一斉にそれらを解放して、作品を見せたり、買ってもらったりするという趣旨で、始められたものです。
当時は、まあまあ、ローカルでは名のしれたアートフェアで、しかも、誰でも参加できるわけではありませんでした。
ただ、写真家の友達がそこに実際にスタジオを持っていて、すでに審査に通っており、彼女は陶芸を最近はじめ、写真とセラミックを見せる。まだスペースがあるので、「作品を持ってきて売ってみない?」と誘われました。
そこでワタシは考えた。
だったら、いつもの「汚れの首輪」のテーマで、ササっと描けるドローイングのようなものを描いて、安くうったろ〜と。
で、30枚くらい描きました。
3日間、開催されて、たくさんの人がきました。
しかし、
たったの一枚も売れませんでした。
見てくれる人はいましたが、ほとんどの人が素通り。トホホ。。。。。
絵は、日頃から好きな人たち、尊敬している人たちの服をトレースして、線画にして、襟は全部、汚れの首輪がついている。。というのをアクリルで描きました。
写真の右下の「SOLD ソールド」という絵ですが。
実は、売れたわけではないのです。
このシリーズとは関係なく、ただ、シャレで「売れました」とキャンバスに描いてみただけです。
売れてない「売れました」という絵。
そんなギャグも、まったく誰からも見てもらえず、完璧に無視されました。
3日間、じーーーっと、その場に拘束され、ただただ、前を通り過ぎる楽しそうな人々をずっ〜〜〜と眺めてたせいもあって、かなりヘコみましたね。
これは何が原因だったのか?と考えてみるに、このアートフェアはデザインの物が多かったんです。
アートといっても、ファインアートではない、いわゆる「デザイン」のものでした。
ちなみにお隣で売ってたものは、キャンドルや、料理用スパイス。その隣がビンテージ古着、そしてセラミックのティーカップ。彼らのものはバンバン売れてました。
そんなところで、どう考えても、私の「汚れの首輪」の絵なんか、買う人がいるわけがなかったです。涙
場所を間違った。
私のは、デザイン?じゃないんだった。。。。。
アートとデザインの違いをちゃんと把握してなかったから、こんな場違いなところに身を置く事になったんだと、めずらしく反省した。
ただ、あの、マルセル・デュシャンも若い頃、自分の作品をフリマで売った事があると言う話を聞いた事がありましたけども、、、、
いうても、、、、
自分はデュシャンではないのだった!!
それも、今回、よーくわかった。身にしみた。
僕の真似をするなら、許可を取ってからにしたまえ!
話は変わりますが、時代は、その頃。。。。、
デザイナーとしての自分のリメイクの仕事にも、逆風がふきはじめておりました。
どんどん変化するファッションのマーケットに、うまく指標を合わせて、安価で、質も悪くないファストファッションの台頭です。だんだん浸透してきて、人の服に対する考え方を変えはじめ、店も世界中にひろがり、2015年頃までに、もう当たり前のように定着した。
一方で、自分がやっていた古着のリメイクのファッションブランドは、今でこそ、注目を集めている分野ですが、この頃は、リサイクルで作っている服は安いのが当たり前と思われていました。涙
もちろん、古着を安く買ってきて、袖を切ったり、リボンやレースを足したりだけだったら、すぐできます。
でも、私のやってたリメイクのデザインというのは、その後に「解体クチュール」と言われているような作業で、全部一回、バラバラにして、素材の状態にもどしてから、イチから作り直すので、時間がものすごくかかる工程でした。なので、どうしても高い服になってしまう=ファストファッションには太刀打ちできん。
それだけでなく、この頃は、ネットで服を売ったり買ったりする時代になり、買い物をするスピードがだんだん早くなっていきました。
ファストファッションの価格競争とネットの消費のスピード感!!
ゆっくりデザインを考えてる時間なんて持てない!!!!
で。次第に、、、置いてきぼり。。。。。
どんどん作って、どんどん消費
、、、、そんなバブル時代の資本主義がイヤで、リメイクを始めたのに、今度はネットバブルに巻き込まれ、気がついたら、結局は消費のサイクルにどっぷり呑み込まれてしまってたのです。
仕方ありません。それが、資本主義社会ってもんでしょう。
ここで、大先生に意見を伺おう。
君!今さら、何をほざいとるんかっ?
このボケっ!!
はい。そうでした。経済とは消費されての、なんぼ。。。。
特にファッションは、時代に合わせてどんどん変化してゆかなければ、せいぜい、ブレイクしてから3年くらいで、あとは下降するだけの仁義なき世界。
そんな、ブランドやデザイナーのアップダウンをずっ〜と見てきた自分でありました。
しかし、ですよ。。。。まず、第一にですね。
私は、もともと、ファッションデザイナーになりたくて、リメイク業をはじめたわけではなかったのでした、、、、、。
だから、仕事が減ってるなーって思っても、だからと言って、売上をあげるような行動は、何一つやる気にならなかった。
もうこのまま消えるのならそれでいいや。と思いました。
自然にまかせよう。
そしたら、どんどん仕事がなくなってきた。
ピークの時はたくさんの人が、わいわいと仕事場に出入りして、賑やかに仕事していましたが、、、、、
気がついたら、誰もいなくなった。
そして。
生活は最低になり、極貧になりました、、、、、。
なので無駄なものは買わないようにした。
食費もなるべく抑えようと、夫には今まで通りだったが、自分は食べる量をかなり減らした。
そしたら、痩せた。。。。
(実は、これは貧乏のせいだと思っていたが、今思えば、張りのあった贅肉が、老化に耐えきれず、下に垂れたせいだった。苦笑)
ここで、、、最初にもどりますが、
このわたしメが、長い事、やってきたアートとデザインの間の領域で両方のいいとこ取りをしようというのは、
二兎を追う者は一兎をも得ず、、、、
欲張って二つのものを追いかけると両方を逃すという意味ですが、
「デザイナーとしての自分が自然にいなくなってくれたんだ」
だから、もうアートとデザインの領域なんて事、考えなくていいのだと思ったら、なんかスッキリした。
もちろん仕事がなくなって、生活のためにいろいろと金策を考えないといけなくなったが、それはそれで、元々お金のかかる生活をしてたわけでもなく、お金持ちになるのが、目標でもなかったので、最低限の生活はどうにかできた。
それでも、アート活動は続けた。
続ける事以外は考えられなかったし、お金がないなら、ないなりに、できる事を探した。
貧乏にも
図太い自分であったのだ!
次回に続く。
L*
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