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鹿児島県伊仙町を踏破 その2<日本全市町村踏破(制覇)>

2018年2月10日。引き続き徳之島南部の伊仙町。
「カムィヤキ」の窯跡の近く、やや海から離れた台地上に、故・泉重千代翁の生家がある。

現在、40代以上の方なら、泉重千代翁の名をご存知かと思われる。筆者は現在41歳。小学低学年の頃、世界最高齢者として、TVで騒がれていた覚えがある。

泉重千代翁のことは、当時、相当話題になったので、生家の跡地(案内には「生誕の地」と書いてあるので、生家の跡地なのだろう)には、銅像まで建てられている。長寿も世界一となれば、「英雄」「偉人」だ。いや、賽銭箱があることからすれば、最早「神」と言っていいだろう。

銅像の近くには、「泉重千代記念館」が建っている。

内部には、翁を偲ぶものが色々。

実は、泉重千代の生年については、後に疑義が呈され、2012年には、ギネスブックから記録を取り消された。近隣に生まれ、同じく長寿世界一でギネスブックに載った、本郷かまと媼の記録も取り消された。それは、当時の徳之島の記録の正確性に、疑問があるからである。

とは言え、長寿者を数多く輩出する土地に変わりはない。そしてこの伊仙町は、全国平均の倍の出生率を誇る。世界最長クラスの長寿者を続けて輩出し、日本最高クラスの出生率を誇る、この土地は、人類にとって一つの「楽園」なのだろう。

もっとも、だからといって、この地に生まれた人達が皆幸せとは限らないし、移住して来たら幸せになれるというものでもないだろうが、それでも、他の土地と違う「何か」があるのは確かだろう。

泉重千代生家を見終わったのは、午後5時頃。天気はあまり良くなくなって来たが、まだ明るいので、伊仙町西部の犬田布岬(いぬたぶみさき)を目指した。

犬田布岬へ行く途中の道の傍らでは、牛が飼われていた。流石は闘牛の島。

犬田布岬は、琉球石灰岩の切り立った断崖絶壁が続く、徳之島屈指の名所。「犬の門蓋」と同じく、「犬」が付く地名が気になるが、犬田布岬の案内には、地名の由来は特に書かれていなかった。旧石器時代のナイフが出土する洞窟群があり、相当な昔から、人が住んでいる場所である。

ここは江戸時代に「犬田布騒動」があった地としても知られる。「犬田布騒動」は、薩摩藩によるサトウキビ生産に伴う搾取に対する百姓一揆であり、犬田布の農民全員が参加した為に、厳しい処罰も出来ず、以後、政策も緩和されたということである。

絶景とともに、犬田布岬を名所たらしめているのが、「戦艦大和」の慰霊塔である。実は、戦艦大和の沈没地点は、九州島最南端と屋久島の中間、薩摩硫黄島の西方沖くらいなのだが、戦後、長く徳之島沖と信じられて来た為に、ここに慰霊塔が建てられている。

今はのどかな南西諸島も、第二次大戦末期は、極めて剣呑な地であった。奄美群島も、戦後しばらく、沖縄と共にアメリカの統治下にあったということは、その象徴だ。ここに立つと、そうした歴史を思い起こさせる。

鹿児島県全43市町村のうち、39市町村踏破、残り4市町村、達成率90.7%。
九州・沖縄全274市町村のうち、255市町村踏破、残り19市町村、達成率93.1%。
日本全国1741市町村のうち、1715踏破、未踏破26、達成率98.5%。

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