好きな食べ物は唐揚げです
好きな食べ物は唐揚げとハンバーグとラーメン、トマトとコーヒーと紅茶と酒と固い野菜が嫌い。と話すと「子ども」だと茶化されるのに納得がいかない。
グーグル検索すると約105,000,000件もの悩み、考察がヒットする「大人って何だ?」という個人的かつ尊大なテーマの答えが「好きな食べ物が唐揚げかどうか」「コーヒーが飲めるかどうか」で判断できるのなら世の中はハッピーである。
一生子どものまま業務スーパーでブラジル産鶏もも肉2kgを698円で買い、夜な夜な一口大に切って塩と生姜とニンニクと酒を染み込ませ冷凍して暮らしていくことを選ぶだろう。
というのが論点違いなのは分かっている。「大人」「子ども」という言葉はあまりにも多様な見方があり、コーヒーが飲めない「子ども」と自分のことばかり考えている「子ども」とでは意味が違う。
嫌いな食べ物も苦しい感情も我慢して飲み込んでしまえるのが「大人」だと言う人をよく見るけれど、僕は「我慢はただの我慢」だと思っている。
抑えつけられるのではなく引いてでも守りたいもののために「やらない」を選べる、縛られそうになっても大事だと思ったら払いのけてでも進む人が僕にとっての「大人」だ。でも人によってはそれは「子ども」らしい。
結局自分がそう思ったものを信じていくしかないのだ。
だいたい基準や捉え方さえも曖昧な上に、二極化すること自体がナンセンスではないだろうか。
思いやりがある、仕事もできる、自立している、でもピーマンだけは絶対に食べれない。何でわざわざ料理にあんなもの入れるの?あの苦味存在意義が分からないんだけど。あ、でもチンジャオロースのやつは食べれる。と言う人は大人だろうか、子供だろうか。
10代でも人の気持ちに寄り添える人もいれば、40歳になってももめてばかりの人もいる。チャンジャ好きの高校生もいればカレーが好きなおじいちゃんもいる。人はみんな様々な面を秘めているのだ。
とうとう30代に突入したにも関わらず、年下の子たちに「若いですね!」なんて言ってもらえたりする。先輩たちにとっては本当に若造なのだろうけど30は自分的にとうとう来たかと思うし、実際学生からしたらおっさんである。もう高校生と1回り以上違うなんて…
ものづくりをしている身としては若いと言われてホッとしたりもするのだけど、さっきインスタとかTikTokをかわいい子を見るためだけに使っている自分に「おっさんやん!」と突っ込んでしまい切なくなった。
とはいえど自分から「もう歳だから」なんて言い始めたら老けて生きがいを失っていく一方だから「好きな食べ物は唐揚げです」みたいに「最近TikTokハマってるんですよね〜」などとナチュラルに言っていたい。
誰かから見て子どもだったとしても、なりたい自分と面白いものに積極的でいたい。
[この記事の元になったツイート☺︎]
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