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功利主義の意外な落とし穴 #1

英語の授業で "utilitarianism" というのを習った。
ゆーてぃりてぇいりあにずむ

お堅く日本語に変換すると「功利主義」と言うらしい。

Utilitarianism is a family of normative ethical theories that prescribe actions that maximize happiness and well-being for all affected individuals.

https://en.wikipedia.org/wiki/Utilitarianism

ウィキペディアが何かを定義しようとするとき、
最初の一文はいつも必ず分かりずらい。


私の認識が正しければ、「功利主義」とは、

「他人の幸福を侵害する場合を除いて、
個人は、自分が幸福だと感じることを追求し遂行するべきだ」
"One should be allowed to do whatever that makes them happy, as long as they are not harming others"

大体こんなイメージ。

ちなみに、
似ていて非なる思想として「自由主義」があるが、
功利主義とは求めている結果が違う。

上記した定義にある「幸福」を、すべて「自由」に変換したら、
自由主義の本来の定義と一致する。


現代社会における功利主義


最近は「価値観の多様性」とか、「個性の尊重」とか、
どんどん個人主義的な考え方が社会に浸透してきている。

一日の大半をネット上で過ごす陰気な高校生の感覚からして、
この思想は人々(特に若い人たち)の「当たり前」に変化しつつある。


LGBTQ+、ニューロダイバーシティ、"性"に対する寛容性などが、
西洋に比べて日本は遅れているなどとよく言われるが、

普段の生活の中でおのずと、
「ああ、別に誰にも迷惑かけてないからいいんじゃね?」で
ことを片付けてしまう事柄は多く存在している。


一つ、具体例を挙げてみよう。
こちらの動画でインタビューされているのは、Naia(ナイア)


彼女は、自身の肉体以外のすべてを「狼」だと認識している。
それが彼女のアイデンティティーだから、当然遠吠えもするし、
「本来の自分は森で野生に生きているべき」と思うこともあるらしい。

トランスジェンダーでもあるNaiaは、昔から自我やアイデンティティー、
自分自身のパーソナリティーを見つけるのに苦労したと言う。


自身を「50%狼、100%人間」と定義する彼女は、
世間的に見たら "変人" である。
それを否定することは難しいだろう。

でも、私を含めた多くの人たちは、Naiaを見て批判はしない。
むしろ、いじめなどを経験してきた彼女が、
自分のありのままを受け入れて生き生きとしている姿を見て、
応援、称賛したくなる。

功利主義に乗っ取って言えば、
彼女は「誰も傷つけていない」で、自己の幸福を追求しているからだ。


現代社会においても、まだ完全な自己表現は勇気がいる行為だ。
それを彼女は遂行していて、さらに世界中に発信している。
彼女を見て、「自分も同じだ」「自分と似ている」と、
元気づけられた人たちもいるかもしれない。

物事の結果や、
社会などの集団としての最大幸福に重きを置く功利主義の思想に
ぴったりと当てはまりそうなNaiaの人間性。


動画のコメント欄のほとんどは、
Naiaに対するあたたかいコメントで埋め尽くされており、
功利主義(あくまで私の解釈だが)的な意見を持つ人たちが多数見られた。

"ここのコメント欄はいい雰囲気だね。別に誰も傷つけていないなら、私が何かを言う場所じゃない、っていうのが個人的な考え。Naiaがとても自信を持っているのがいいね! 彼女がきれいな心を持っている人だ、っていうことが分かる"
"背を向ける人がいると分かっていても、自分のありのままを受け入れている人を見るのは嬉しいことだね。私のライフスタイルとはかけ離れているけど、この社会でこのような生き方をするのは勇気がいることだ。この惑星には一世紀も生きていないんだから、他人を害さない限り、自分がやりたいことをすればいい、っていうのが自論さ。"
"彼女が生き生きしているのを見られて嬉しいよ。時々こういう人はミームにされて、そういう人たちが個人的に心配になるけど、彼女は大丈夫そうなだけじゃなくて、他の人たちの手助けまでしている。そういうのが見られて嬉しい。行け、Naia!!"

この人たちの言っていることは正しく思える。


もし個人の幸せが誰かの犠牲のもとで成り立っているなら、
それは総合的に判断した時に、社会の最大幸福を引き出すことができない。
逆に、「誰も傷つけない」行動で個人が幸福を獲得できているなら、
それは自動的に功利主義的には合格なのだ。

^テキトーすぎる功利主義の図
他人への害が「0」だったら、自動的にその人の幸福の追求は倫理的にOKになる

コメントによるところでは、
Naiaの幸福の根源「狼であること」は、
「誰にも迷惑をかけていない」「誰も傷つけていない」から、
少し普通から離れているだけで批判する必要はない、

むしろ社会の利益なのだから、
個人の権利として尊重されるべきだ、と。


このような考え方の浸透の結果的として、
人々や社会が無意識的に行う良し悪しの判断と批判の基準が、
徐々に寛容になってきている。

このような意識改革は、
近代の個人主義の促進による副産物だと思う。


・・・パート2に続く

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- luna


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