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桜とセンチメンタル〜花の供養に〜

ポケットに舞い込んだモノ

去年の秋頃、ショルダーバッグのポケットから、ティッシュやハンカチといった雑多な物に挟まって、押し花のようになった桜の花びらが出てきた。
去年の春も桜の頃に河川敷を何度か散歩したから、その時のものだろう。
なんだか捨てられずそのまま大切にしている花びら。


不思議な縁

その花びらの秘めたる存在理由というか、縁にも思える文章を、花びらを発見したその日にたまたま目にした。
石牟礼いしむれ道子の「花の供養に」という文章を、NHKの番組で紹介していたのだ。

水俣病で手足の不自由になった、まだ若い娘が、ただ桜の花びらを拾いたいと思い、縁から転げ落ち、肘から血を流しながらも、たった一枚の花びらを拾うことは叶うことなく、娘は亡くなる。

きよ子は、手も足もよじれてきて、手足が縄のようによじれて、我が身を縛っておりましたが、見るのも辛うして。
 それがあなた、死にました年でしたが、桜の花の散ります頃に。私がちょっと留守をしとりましたら、縁側に転げ出て、縁から落ちて、地面に這うとりましたですよ。たまがって駆け寄りましたら、かなわん指で、桜の花ば拾おうとしよりましたです。曲がった指で地面ににじりつけて、肘から血ぃ出して、
「おかしゃん、はなば」ちゅうて、花びらば指すとですもんね。花もあなた、かわいそうに、地面ににじりつけられて。
なんの恨みも言わじゃった嫁入り前の娘が、たった一枚の花びらば拾うのが、望みでした。それであなたにお願いですが、文ば、チッソの方々に書いてくださいませんか。いや、世間の方々に。桜の時期に、花びらば一枚、きよ子のかわりに、ひろうてやっては下さいませんでしょうか。花の供養に。

〜若松英輔著『悲しみの秘技』より〜


娘の母親は、水俣病の原因となった会社と、世間とに、文章を書いてくれと石牟礼に懇願する。桜の花の頃にそれを思い出してほしいと。娘と花の供養となる手紙を。

時空を超えた手紙

偶然舞い込んだ桜の花びらは、昭和の長崎の、時間も空間も超えた、きよ子さんから私に当てられた手紙であるかのような必然性を帯び始めた。

亡くなった人は亡くなったらそれで終わりではなく、残された人がその意志や痕跡を辿ることで、今に影響する。その影響が、死者とともに生きる、ということだと思う。死者はある意味で、私(残された人)の中に存在し続ける。


桜の木の下には…
今年の桜に間に合うか…
桜は散り際が美しい…

そんな悲しい表現をよく目にする理由は、
春の満開の桜に眩しいまでの生命力を感じるからこそだろう。

今年も桜の季節がやってくる。

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