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断絶し、創造を繰り返す
ここ一ヶ月ほど、あれこれと映画や本を読んできた。ハイペースで作品に接すると記憶がぼんやりとしてしまうが、残念なことに「ひどすぎる作品」の衝撃は他を圧倒する。
本作はこの世のものとも思えぬ駄作である。あらすじは「治安維持法の中で思想を捨てることを迫られ、若くして死んでいった女性の生涯」であるが、あらゆる角度において酷い。ここまで酷い作品は珍しい。
あらかじめ言っておくが、僕は思想的立場で作品の評
サポーターと消費者の狭間を浮遊する
日曜は簡単に。
久しぶりにセレッソ大阪のホーム戦に行ってきた。
最下位の湘南ベルマーレを相手にしながらも、前半からディフェンスラインの裏をかかれ、後半30分を超えるとセットプレーから失点。その後も失点を重ね、攻撃は断ち切られるという、なんともアレな結果に終わった。
会場はブーイングが吹き荒れ、途中で帰る人も続出する。かくいう僕もヨドコウからの帰り道が遠かった……
あるドラマで錦戸亮が「日本
親と子の共犯関係に甘んじながら
飛鳥応援大使の仕事で明日香村に行き、ついでに家族と遊んでいたら、いつもの古墳(新沢千塚古墳群)で子供を抱いたまま転倒してしまった。結果、次男が足を挫いてしまい、大きな怪我ではないものの、1〜2週間ほど足を固定して生活することになった。
甘えた次男を抱きかかえ、自分が好きな古墳で遊び、二人で転んで怪我をする——親子の関係性が引き起こした事故だろう。
『アリスとテレスのまぼろし工場』は、ある意味で
可視化されぬ認知の歪み
フランスでラグビーのワールドカップが開催されており、日本や強豪国の試合を視聴している。
今回の大会で興味深いのは「バンカーシステム」の導入だ。ラグビーでは危険なプレイにはイエローカードを出し、10分間プレイを禁じられる(シンビン)。だが特に危険と見做されたプレイはイエローカードからレッドカードへと変更され、ゲームを通じて戻ることが許されない。イエローか、レッドか——これはゲームを通じて数的不利を
社会の「喪失」の二重性
九月になり、例年のプロジェクトで故郷の青森県弘前市に滞在した。弘前では基本的に宿は取らず、実家に泊まっている。実家を離れて長いので、生まれ育った家ではあまり落ち着かず、妹家族に招かれるなどして、「客」としての時間を過ごす。
結婚、死別、出産を経て、家族は変質し、新たな家族へと接続される。
この期間にクローネンバーグの新作を見たり、戦争ドキュメントを見たりしていたのに、今から語るのが『クレヨンし
『シモーヌ』に見る二つの力学
ダチョウ倶楽部が上滑りをする様子は珍しいものではなく、多くの場合その空気感が笑いに転じる。おそらく別人が同じことをやっても笑いは起きない。ここで機能しているのは、芸の外側で認知している肥後・寺門のキャラクターだ。多くの場合において、コンテンツはそのコンテクストを形成する「現実」を参照する。
ダチョウ倶楽部のような邪気のないお笑いの対極の話題で申し訳ないが、『シモーヌ』の主人公、シモーヌ・ヴェイユ
祝祭の地で憂いを求める
妻の実家の宮城県松島町に一週間ほど滞在している。
大阪で便利な生活に埋もれ、たまにWi-Fiもない田舎に滞在すると、あらゆるものがリセットされていく。先週からの滞在に身体が順応し、睡眠時間が少し長くなった気がする。
自宅を離れると、得意のコンテンツ受容が止まってしまう。勉強用の書籍を数冊持ってきた以外はKindleに入っている娯楽本だけだし、サブスクリプションの動画もなければ映画館も遠い。サッ
弱きラーイオスによるオイディプスへの呪い
是枝裕和監督『怪物』を鑑賞した。
本作は主人公・麦野沙織が息子の湊の異変に気づき、その原因を学校教育に求める描写から始まる。麦野は夫を事故で亡くし、湊と穏やかに暮らしているが、湊は泥に汚れて帰宅する。「豚の脳を移植されると怪物になってしまう」と語る湊は、不審な行動を取るようになり、行方不明になったり自傷を行ったりと、麦野を翻弄していく。湊を問いただす中で、担任の保利が湊を侮蔑し、暴力を振っている
コミュニティからの脱却と接続を繰り返す
先週末の日本フランス語教育学会で久しぶりに東京を訪れた。土日に遠方への一泊旅行となり、月曜日から普通に授業をしていたので、なかなかハードなスケジュールだった。
学会発表の内容は、僕らが作っているフランス語オンラインコミュニティの活動と成果の分析である。
コロナ禍で見舞われたのは、遠方のコミュニティの切断だった。2019年までは毎月のように県外出張をしてプロジェクトを回していたが、コロナではそれ
「不変の与件」が背景と化す
ゆっくりと日々の出来事を記録しようと思って始めたnoteではあるが、基本的に外出が苦手なので、趣味の読書や映画の感想がメインになってきた。僕自身は仕事以外の場での議論が苦手なので、素直な「感想」を書いているつもりなのだが、職業病のせいで批評のようになってしまう。変に逃げを打つのもどうかと思うので、もはやこのnoteを作品批評として捉えてもらっても構わない。
ということで相変わらず文芸や映像を通じ