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精神科を受診する 闘病記【5】

頭がおかしくなった

前回までは強迫症の症状について述べてきました。今回は発症してから精神科を受診し、自分が強迫症という病気だということを受け入れていく過程を述べたいと思います。

まず初めに縁起強迫が出てきた頃から振り返りたいと思います。最初に自分が縁起担ぎとして水晶を2回触っている時は、まだ自分のしていることが問題だとは認識していませんでした。最初はうまくいっていたので縁起担ぎをしているなあと思う程度で軽く考えていました。
しかし、日に日に強迫観念が増えて強迫行為が増加していきました。それに従って強迫行為に生活が脅かされるようになってきました。そして自分の意図に反して強迫行為が出るので、その頃から自分でおかしなことをしているということに気づいてきました。
そして前に述べたように、「声」が聞こえ始め、自分の中に「神様」がいるようになった時に「これはただごとじゃないぞ」と思いました。

私は頭がおかしくなったと思ったのです。「声」は勝手に聞こえますし、「神様」の指示には従うしかないのです。やめようと思ってもやめられないのです。自分が操られている感覚がありました。「おかしい。自分の思った通りに動けない。思考が浸食されている。自分の自由に動けない。」と思ったとき、自分が狂ってきていると思いました。

我慢の限界

そして他の人が強迫行為をしていることを見たことがありませんでしたし、何回も触れ直すというような儀式をしていることも見ることはありませんでした。自分だけがやっているのです。それも自分の意図に反して「声」が聞こえ、強迫行為をしなければならないので、自分の頭がおかしくなってしまったのだと認識しました。
そしておかしなことをしているという意識もあり、恥ずかしかったので人前では強迫行為をやらなかったのですが、どうしようもなくて家族の前で少しやってしまうようになりました。

もう隠し通せないと思いました。だからといって「神様」の指示はどんどん増えてきます。もう自分の意志ではどうにもできないところまで来ていました。そして限界が訪れました。

母親への告白

ある日母親に「ぼくは頭がおかしくなった。」と告白しました。母親は「どうしたの?」と聞きましたがその質問に私は困ってしまいました。まだ自分の中で頭がどのようにおかしくなったかということが整理されていなかったのです。そのため言葉でうまく説明できませんでした。
今になって思うのですが、強迫症は自分のしていることを客観的に見られるようになると症状は落ち着きます。そのメカニズムさえ分かってしまえば対処のしようがあると思います。(私は今書いていることにより症状が治まっていると感じます。)

また母親に説明できない理由として「恥ずかしい」ということがありました。自分のやっていることは異常であり、私一人だけが抱えている問題だと思っていました。さらに頭の中(内心)を説明すると言うことはだれにとっても恥ずかしいものではないでしょうか?そんなこともあり自分の心の中を人に説明するというのは難しかったのです。

さて思い切って告白しましたが、自分がなんの病気であるか分かりません。母親もなんの病気か全く分かっていないようでした。そこで、信頼している内科の先生に話を聞いてもらうことにしました。

内科受診

しばらくして内科に連れて言ってもらいました。先生の前に通されたのですが、自分の症状をうまく話せません。とりあえず頭の中がおかしいという旨を伝えるのが精一杯でした。するとその先生は「内科では対応できません。サナトリウムに言ってください。」と言われました。
それを聞いてショックを受けました。サナトリウムは頭がおかしくなった「普通」でない人が行くところだと思っていたのです(当時の私は精神病に対して偏見がありあました)。

母親もサナトリウムと聞いてショックを受けているようでした。27年前の時点では、精神病というのは今と比べて一般的な病気ではなく、またイメージも悪かったのです。そしてこの時点では私も親も精神病について全く知識がなかったのです。

クリニック受診

内科の先生にサナトリウムを紹介されたということで、家族の中で私は精神の病気ではないかということになりました。そして両親は精神病の本を買ってきたりして勉強したようです。都市部にはクリニックという名前の精神病を診てくれるところがあるということが分かりました。そこで乗り気ではなかったのですが、思い切って受診することにしました。もう自分ではどうにもできないと思ったからです。

車で1時間くらいのところにクリニックはありました。待合室は人がいっぱいでした。待つこと1時間半ぐらい。とても待ち時間が長かったことを覚えています。やっと名前が呼ばれました。そして私だけ診察室に入りました。先生の前で私はうまくしゃべることができませんでした。それでもなんとか症状を説明しました。するとこう言われました。「マスターベーションしていますか?」私は意味が分かりませんでした。「それはなんですか?」と聞くと「オナニーのことです。」と言われました。
私が分からないというと、不思議そうな顔をして他の話題になりました。このとき私は友達もおらず、性のことについて無知だったのです。でもなんとなく馬鹿にされた気がしてそのクリニックには二度と行きませんでした。

そして母親が次のクリニックを見つけてきました。駅から近かったので今度は一人で行くことになりました。その際クリニックに行くところを人に見られたらいけないということで軽く変装して行きました。先ほども述べたように、その時は精神の病院に行くということは恥ずかしいことであり、隠すべきことだと思っていたのです。

そのクリニックの先生は女性でした。なぜかしゃべりやすいと感じました。そこで少し落ち着いて話すことができました。そしてその先生からは強迫症だと言われました。初めて聞いた言葉でした。診察が終わって薬が処方されました。抗不安薬が処方されました。それから2週間に1回くらいのペースでそのクリニックに通うことになりました。その後ももちろん変装して行きました。

ちなみにクリニックには私のような学生はいませんでした。私は子供でここに来ているのは一人だけだと思い、自分が「普通」ではないことを実感しました。

処方された薬を飲むと変化がありました。少し楽になった感じがしたのです。しかし困ったことに、眠くなりました。次回述べますが、その他の理由も相まって学校で寝てしまうことが多くなりました。それでも薬を飲み続ければ病気はよくなるのだと思って我慢しました。

そして少しだけ強迫症に関する本を読みました。読んでみると自分のことが書いてあると思い驚きました。他にも自分と同じような症状で困っている人がいると知ってなんだかうれしくなりました。それまではこの地球で一人だけの病にかかり、頭がおかしくなってしまったと思っていたからです。私だけではないということに少し勇気がわきました。

当時は精神科に対する理解がなかった

さて病院に行くところまでを振り返ってみました。まず当時の精神病に対する無理解を反省しなければなりません。しかしその頃はまだ現在のように精神病に対する社会的認知は低かったです。ましてや子供の精神病は全然知られていなかったのだと思います。

自分に病名が付けられ、一人ではないと分かったことはよかったです。一方で、その頃の私は「普通」ということに過度にとらわれていたと思います。親も同じで「普通の子」だと思いたがっているようでした。そして次回詳しく述べますが、学校も休まずに行きました。登校拒否は「普通」ではないと思っていたからです。

しかし、このような「普通」への過度のこだわりがその後の展開に悪影響を及ぼしていきます。これは後に詳しく述べますが、「普通」であるべきだという「~であるべきである」「~でなければならない」という思考が強迫症と深く関与していることはこの時点では分かっていませんでした。「普通」へのこだわりと「べき思考」が強迫症におとって大きな問題だとは思いもよらなかったのです。

今になって思うこと

時代が変わって現在では精神科に子供が来ることは当たり前になりました。大きい病院に行くと児童精神科というカテゴリーもあるくらいです。私が子供の時にあればよかったなあと思います。子供は柔軟な考えができます。子供のうちからしっかりとした対策をとっていれば私は27年間も苦しむことはなかったと思います。

その反面危惧していることもあります。子供の頃から診断名が出ることにより、その子の人生の選択肢を少なくしてしまうのではないかということです。子供はいくらでも変れます。病気も治る可能性がありあます。
ぼくは仏教に出会い39歳から変わることができました。お子様が精神科に通われている方は診断名にあきらめることなく子供が変わる可能性を信じてほしいと思います。

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