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2022のわたしと、お世話になった音楽と。
自分の2022年を一言で表すのであれば「無力」だろう。
年明けすぐに義妹が亡くなったり、直接的に命に関わる寄付に携わったり、社会では凄惨な出来事がいくつも起こったりと、生き死にについてよく考えながらも、なにかまとまった答えを出すことはできなかった。
職が変わったり、家族ができたり、住まいが変わったり。数年前から環境の変化が相次いで、去年くらいから体力的にも精神的にも本当に限界がきてしまって、今
90日の延長戦(2022年1月4日)
「明けましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いします。」
この時期はメッセージの冒頭に一言テンプレートを添えるわけだが、なにかが”明けた”感覚はほとんどない。ただでさえ立て込む12月、体調不良が続いて殆ど動けなかったツケを回収しているせいだ。Facebookを開けばみんなが振り返りと抱負を綴っているが、まだそこまで気持ちが追いついていない。
そもそも、昨年の
富と器(2021年12月31日)
「変化の多い一年だった」と、毎年のように口にしている気がするが、例年の比ではなかった。もう少し遡ればおよそ3年前、人生の進路が大きく異なる方向に切られてというもの、険しい悪路を旅してきたように思う。ただ、その道程で眼前に広がっていたのは鬱蒼とした真っ暗な景色ではなく、例えるならばマリオカートのレインボーロードのような、カラフルでエキサイティングなコースを走ってきた。そんな日々だった。
今年は特に
眠。(2021年12月9日)
日中、寝込んでしまった。頭が混乱してしまって、どうにもならなくなってしまった。時折こういうことがある。まあ、寝ると多少すっきりします。寝るってすごい。うーん、ここに書くことが、忙しさにまつわることばかりになってしまってるなあ。冬場のバタバタは体力的にも精神的にも堪える。
なかなか今日は筆が進みません。ので、ここまでにしたいと思います。バチェラー面白いね。
ハタコシ
僕の妻は行動が早い。(2021年12月7日)
この更新を一日後ろ倒しにしてしまった。つくづく、継続が苦手だ。人は仕事の量そのものよりも、未着手のものがたくさんある状況自体に疲労を感じるそうで、頭がぐわんぐわんする日々が続いてしまっている。
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僕の妻は行動が早い。先日、とあることをきっかけに、学生時代にもやっていた歌をやりたいと思い立ったそうで、次の日には体験レッスンの申込をして、その日のうちに音楽教室に行っていた。こういうのは、
やってるやつは、普段からやってる。(2021年12月2日)
12月1日、茨城県つくば市にある『Tsukuba Place Lab』の5周年イベントのひとつに参加させてもらいました。代表の堀下さんとは、僕が前職でコワーキングのマネージャーをしていた頃からのお付き合い。長野にもよく来てくれて、イベントも何度か一緒に企画させてもらいました。
僕がコワーキングを離れた後も、それぞれが挑戦する人の支援の一環として行っている、クラウドファンディング実施支援の文脈で定
師走への持ち越し(2021年11月30日)
あああああああ。やってしまった。寝落ちしてしまった。こうしてまたひとつ、12月に持ち込んでしまった。師でさえも慌ただしく走り回る年の瀬、「やること」をぱんぱんに詰めたリュックとキャリーケースを抱えて、漫画表現が如く足元に渦を巻きながら31日を走りきらねばなりませぬ。
…だめだ、焦りやらで頭がぼんやりしてしまって、言葉が出てこない。やらねば。やらねば。あああああ。手を、動かし、ます。
ハタコシ
報復性夜更かしのさなかで(2021年11月26日)
この交換日誌をはじめてからというもの、習慣づけがきちんとできている人への惜しみないリスペクトよ。毎日のように日記をつけたり、決まったリズムで生活したりと、ルーティンを持っている人に憧れる。生まれて此の方、長続きしているものがない。眠い目をこすりながらバチェラー観たりしながらダラダラと仕事をしているうちに、こんな時間になってしまった。明日も早いのになあ。山暮らしらしからぬ生活である。
夜は、”誰も
雪景色と手間と余白と(2021年11月24日)
やり残した仕事から逃げるように「15分寝よう」と思って横になったまま、ブラインドから差し込む光で目覚めた朝。今日もやっちまった。そう思って重たい身体を起こすと、目に映った白塗りの窓外に「えっ」と小さく呟く。
今年の春から、標高1000メートルの山間部に住んでいる。といっても、長野はどこも標高が高いので、長野市街地から車で20分も走れば、簡単にスカイツリーより高いところにたどり着ける。当然ながら、
ゆるやかな相互監視を。(2021年11月22日)
11月22日、21時54分。
別件の打合せが始まる30分前にして、ようやくこの文章に向き合う。まーー筆が重いことで全俺から定評がある。文章変換にどうも時間がかかるもので、自分のことを書こう書こうと思っても日々が流れてしまうのだけれど、このところは慌ただしく過ごしてしまっていて、10年選手のtwitterさえ仕事の呟きばかりになってしまっている。久々にnote開いてみたら、最終更新が3年前の始末だ
長野の港・CREEKSを旅立ちました。
件名:
退職のご挨拶 / 株式会社CREEKS 波多腰遥
本文:
これまでお世話になった皆さま
(Bccにて失礼いたします)
お世話になっております。株式会社CREEKSの波多腰です。
私事ではありますが、一身上の都合により8月末で株式会社CREEKSを退職することになりました。メールでのご連絡となってしまったこと、また突然のご連絡となってしまい申し訳ありません。…
「退職メール 書き方」
踊り場にいる僕らへ。
はじめまして、ハタコシです。
僕のことを知っている人に対しても、あえて「はじめまして」と言葉をお渡したいです。この場所では飾ることなく、できる限り開放して書いていきたいと思っていて、その姿ははっきりとは見せてこなかった部分でもあるから。
さて、このnoteは『おどりば』という空間が生まれるまでの経過を送る、公開交換日記です。書くのは僕と、宗思さん(はじめて下の名前で読んでみる)。長野市に住む2
3月18日開催「イベントは如何にして”失敗”するのか」に寄せて
イベント、楽しいです。
面白い取組に触れたり、その背景の人柄を探ったり、新しいアイデアが生まれたり。日常とは異なる世界に出会い没入できる数時間は、一度味を覚えたらやみつきになってしまう。何度も足を運んでくれる人も多い。
でも、必要なのは「楽しさ」なのだろうか。目指すべきは「その場の盛り上がり」なのだろうか。そもそも、僕らはなぜ企画するのだろうか。
登壇者の世界観や革新的なアイデアは、瞬間的に