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連載小説:室町時代劇(5):芸人一座の母


「おふくろ、行ってまいります!」戸口で吉丸の大きな声が響いた。

「行っといで!怪我しないんだよ!」

ここ芸人一座での毎朝のやり取りだ。町の四つ辻で芸を見せるあの子たちは、危険が伴う軽業を毎日の様に見せている。幸い、これまで大きな怪我をした子達はいないが、それでも送り出す側としては、やはり心配は隠せない。

末の息子の吉丸も今年で三十二歳。多分この子がうちの座を継いでくれるだろう。

上の四人の息子たちは、それぞれの一座を立ち上げて忙しくしている。何年かに一度、旅巡業で京丹波の近くに来たときに顔を出してくれるものの、普段は文を交わして近況を知らせる程度だ。

私が座長の正吉と所帯を持って何年になるだろう。

小さな小間物屋をここ京丹波で営んでいた父は、京に行商に行くたびに正吉と会っていた。正吉が出し物に仕える小間物を買い付けていたからだ。

よほど馬が合ったのだろう、二人はそのうち文を交わすようになり、正吉が旅巡業に出かけた先からも熱心な文が届いた。客が喜ぶ、仕掛けも内容も良い舞台を作りたい。それだけがあの人の思いだった。

旅巡業ではなく、どこかに根を下ろして舞台を作りたい。そう思った正吉はここ京丹波にやって来た。

なにもこんな不便な所に来なくても、と人は思ったそうだが、神社仏閣が立ち並ぶここ京丹波では、一年を通して勧進が行われる。それに何度も参加していた正吉一座は、それをご縁にここ京丹波を選んだ。

私は父と母が営んでいた小間物屋に度々顔を出す正吉とはすぐに顔見知りになった。

正吉は年の頃三十五は行っていただろう。舞台で使う小間物や、楽で使う楽器。舞台で使う衣装や化粧品の数々。熱心に通ってきては必要な品々を吟味する正吉を、うちの父は可愛がっていた。

正吉がいつの間にか私の入り婿としてこの小間物屋に住み着いたのは私が二十歳の頃だったと思う。顔見知りから、いつの間にか舞台にかける意気込みにほだされたと言ってもいい。

小間物屋は、一座の座員達が住める長屋の近くにあった。正吉としても座員を一つにまとめるためには、あばら家に近い長屋でも、座員が屋根の下で眠れるような場所が必要だった。

思い起こせば正吉の人好きには、あきれ返るような事が沢山あった。商売で世話になる古着屋や古物の楽器屋ともあっという間に仲良くなり、勧進で出かけた先の寺の住職や神社の神職とはすぐに昵懇となった。

そんな中で私がいつもあきれ返っていたのが、正吉の子供たちへの心配りだ。

子供が路地方でぽつんとしていれば話しかけ、腹を空かせていれば食べ物を買ってやり、話を聞いてやる。

親と喧嘩したり、追い出されて行くところの無い子供たちは、家に連れてきて泊めてやった。その後、あの人は走って行って、奉行衆に届け出たり、その子の両親と話をつける。

親が亡くなったなど、行くところの無い子供がいれば、その子の芸の筋を見て、うちの座に引き入れることもある。

芸の筋の無い子は、ここ京丹波のご贔屓さんの家や、近隣の町の店などにどんどん紹介して、働き口を見つけてやった。

子供が路肩に居ても無関心で、そのまま行き倒れても見向きもしない。それが普通の感覚だが、正吉は違った。

子供は可能性に満ちた大事な財産だ。大事にしなければ仏罰があたる。そう信じて疑わなかった。

私としては、ひと月に一度や二度も道端で見つけた子供を連れてくる正吉にあきれ返ったものだ。

ぶすっとして何も言わない子供たちも、大概一晩の飯と眠る場所を与えればけろっとしている。結局親が迎えに来ることが大半だった。

実入りが沢山ある訳でもなく、その日の食べ物にも事欠いていたうちは、正直言って子供たちに夕餉を出すのも苦労した。でも、正吉の性分が分かるにつれて、私は何も言わなくなった。薄い粥と薄いみそ汁と漬物を出すぐらいしかできなかったが、不満を言う子はいなかった。

中には幼い子供もいた。今うちの一座にいる絹が良い例だ。

絹はようやく歩けるようになり、ほんの少し言葉が出来るくらいの幼い頃に、夜もとっぷり暮れた道を一人で歩いている所を正吉が見つけた。

普通だったらそのまま気にもせずすれ違う所を、正吉は「迷子だ」として座員達に親を探すように言いつけ、絹をうちに連れてきた。

親は結局見つからず、絹は家の一座の子になった。幼い頃は唄いをやっていたあの子は、針仕事に関心を寄せ、今では舞台衣装の仕立てを立派に勤めている。

昨日は、絹が育てている松太郎が初めて絹に歯向かった。乳飲み子の時に親を失った松太郎は、近ごろ自分の出自を正吉と育ての親の幸と絹から教わっている。それが関係しているのだろう、育ての親に対して「本当の親ではない」と言い切った。

ここの一座に来ている子で、親代わりに私が育てた子供は沢山いるが、松太郎の一件は、いつかは通る試練の一つだ。

私も正吉が連れてきた乳飲み子だった子供を何人か育てた事があるが、その子の出自を知らせると、程なくして「本当の母ちゃんじゃないくせに」と言い出す。始めのうちは傷ついたこともあったが、腹を痛めて産んだ子ではないのは確かだ。

昨日は、結局吉丸と、義理父の幸が松太郎を叱って、絹に謝らせた。松太郎も反省しているようだ。

喧嘩があって、仲直りをする。人生それの繰り返しだ。

喧嘩と言えば、今のうちの一座では、吉丸と保名が小雪と毎日の様に喧嘩をしている。

小雪がせっかく作った素晴らしい舞を、小雪は踊りたくないと言っている。

小雪の本心はどこにあるんだろうか。
舞を舞いたくない、なぞ小雪はこれまで言ったことがない。

昨日は、京からわざわざ丹波まで尋ねてきてくれた久蔵さんに新作の舞を見てもらったそうだが、もしかしたら何かが変わるかもしれない。

私は舞の事はよく分からないが、小雪が舞の筋があるのは聞き及んでいる。

新作が上手く行きますように。そして、素晴らしい舞台を届けられますように。

昼餉まであと少し。針仕事や大道具の連中も、そろそろ戻ってくる頃だ。
そう思いながら、私は稗の粥を煮ている竈の火に向かって竹筒を拭き始めた。

昼餉には腹をすかせた子供たちが帰ってくる。
少ないけれど何とか膳に粥と漬物を乗せないと。
帰ってくるあの子たちの顔を浮かべながら、ゆっくりと竈の火を大きくしていった。

(続く)


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