慈雨に現れる汁👶👨👹👹👹
「ナニひとつ問題が起きていない?・・マスター。私は、この意味が分かりません。事実、この世の中には多くの問題が溢れているではないですか?」
『死なないのじゃよ。ヒトは死ぬと思っている。そもそも、それが錯覚である。確かに死んだように思える。じゃがそれは、ヒトがそう判断している、そう反応しているだけで、本当に死んだといえるのじゃろうか。本当にすべて消えてしまったのじゃろうか』
👻 👻 👻
「・・・」
『エロエロwww。冗談じゃ。楽しければ、思考が織りなす幻想物語に没頭するのは良いのであるが、楽しくない事または心地よくない事象に没頭して、物事をリアルに捉えすぎることはとても危険である。覚者たちでさえ、理解したはずなのに知らず知らずのうちに、ヒトを支配しようとしたり他者をコントロールしようとしてしまう。自我は強力じゃ。実体なきものであるのに生き長らえようとする。であるから、自我で書かれたこの文字も冗談だと思えばよい。お主がすべきことは、その優しき心に従い、心地良いと思う行いを成せばよい。もっとも、ここでの心とは愛でしかない心であるが・・・』
「こ、心地良いと思う行い・・・愛の心ですか?」
『この世界は、写し世でありながらもまた、髪体験を楽しむ場所でもある。好きなように踊ればよい。好きなようにナニにでもフォーカスすればよい。すべては未知。知られているものだけが思考としてやってくる。知られていないもの。つまり未知のものはこの先も現れることはない。すでにあるものだけが、まるで新たな発見のような顔をしてこの世界に顕れる。自然の力。宇宙の采配で決められておる。決まっているからこそ安心して遊びなさい。お主が悦べるのであれば。お主が居心地良いのであれば』
「なんと⁉️⁉️居心地良ければ何でもアリということですな‼‼・・私は過去にボイパして妻に怒られたことがありますが、確かに違和感を感じておりました。私は居心地良いのに、妻に怒られた。妻には居心地良くなかったのか?いや?そう感じていることもまた、私の内側で起きている・・。怒られたというのは、あくまで私の錯覚であり、妻は私のために怒り役を演じてくれたのではないだろうか?・・。そう、例えば”タオの助。あなたには優劣の観念がありますよ。だからそれを解放して、髪体験の本質を思い出しなさい”と。また怒った妻も、”私は怒ったぞ💚”と錯覚しているのかもしれない・・」
『・・・う、うむ。真理に近づいておる気がする。観念の解放のために世界がある。写し世。ここでは、見えるものすべてが教えであり学びである。良い。良いぞ。無理に求めることをせずとも、つまり苦しい思いをせずとも理解が進んでおる。そのように、委ねておれば道は開ける。なぜなら、思考も理解も自ずと、あちらからやってくるからじゃよ』
「自ずと⁉⁉ムムムム…ではマスター。”ぐちゅぱ!!!”や、”ぐちゅぐちゅぱ!!”も自動なのですか??」
『そうじゃ。そうじゃ。確かに、”子守歌にボイパを演じたかったから私はボイパを歌ったのです”、または”ハモネプを見ていたからボイパが頭に浮かんだのです”と、そのように根拠を述べることはできよう。しかし、【ボイパ】という言葉が一体どこからやってきたのか?本当にそれは、お主の脳から発信されたものなのかね。それ以前に、つまり瞬前に発信されたのではないじゃろうか。信号を送っているのは、果たしてお主の意思かのう』
「え💦」
『やってくる瞬間を見ているといい。どこからか、降りてくる。降りてくるとここでは言うが、それはお主の内側から起きてくるのである。セクシーなアナパンのビキニ画像を見て反応するち〇こと同じじゃよ。アナパンのANAじゃ。宇宙の黒き穴からやってくるのかもしれぬのう。面白い。まったく面白い。全イチの愛じゃ!全裸の愛じゃ!!いや、チラリズムかのうwww』
「黒き穴・・。黒パンティー・・・。ハッ!!小力子!!💕」
『だからこそ愛を感じなさい。心のままに小力子を愛で救うといい。想念や感情、思考に真剣になりすぎず、自由に何でもすれば良いのじゃよ。すべてが心地良いものを選んでおれば、すべてが上手く循環する。ここは本来そのような世界なのである。もう一度言おう。お主が心地良くなるのであれば』
タオの助は、”心地良く”に反応しすぎてしまい、自我が暴走し始めた。予てより、やってみたい!と思っていた、【馬のマスクを被り、フルチンでスクランブル交差点の真ん中に立ち、アレも勃ち状態のまま”粗チーン!!!”と叫ぶ】。まさにその夢を叶えたいと胸が高鳴ったのだった―――。
「よっしゃああ!!!💪✨💨💨💨」
『お主はそこまでバカではないと思うが、念のために言っておこう。心地良ければ何でも自由に。とは言ったが、ち〇こを曝け出して、街中をウロウロするような事をすれば一体どうなるじゃろうか?それは心地良くない場所へと連れて行かれるのではないかね?それくらいは観念のお蔭により、理解できるじゃろう。・・・え?まさか!??💧お主はバカなのかね❓』
「💦ま、マスター・・・😅。そんなおバカなことを私がするハゲがないでしょう。薄毛ポリスのケンちゃんに捕まっちゃいますもん‼‼(💦💦💦)」
『ならば安心である・・(こやつ、やはりアホでバカでお下劣なのかも)』
「へへ♬」
🙌 🙌 🙌
原初の完全すぎた体験は、この幻想世界に変化をもたらした――。
ここには最初から境界線など存在しない。男女の区別も、人と自然という区別も、宇宙と地球の区別でさえも。それなのにすべてを区別し、分離させ、決めつけてしまうのが人の観念であろう。それも学ぶために必要な道具だ。
だが、自分とはナニかを知ること。その目覚めも光術と共に成される。
🙌 🙌 🙌
『日照り続きでは、潤わない。この闇は慈雨ともいえないかね。すべてが洗われ浄められる。雨の後は気づきの風が吹くじゃろう。希望の光と共に』
「好念鬼👹も慈雨と仰るのですか.....」
『世界とはまさにお主を映す鏡なのじゃよ。そして過去・現在・未来はすべて今ここに内包されてある。思考が起こる以前の完全な今ここ。そこにあるのは、ただそこにあるのは、まばゆいばかりの壮麗な美そのものではないじゃろうか。そう、すべては美しき愛の世界そのものである』
「美しき愛の世界・・」
『知的理解のみでは、腑に落とすのは不可能じゃ。・・・・・さぁ、お主の肉体リズムも間もなく、波のピークを迎える。少しずつその開かれたものを現してイクかの💛』
🙌 🙌 🙌
先ほどまで晴れていたはずのこの地に雨が降り始めていた。それはまるで、我慢汁のようでもあり、また待ち侘びていた恵みの潤いのようでもあった。低木の葉に雨の雫。幾つものそれは、自ら光を放つかのように輝き続けた。
求めずとも、光はすぐそこに✨
☔ ☔ ☔
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『観念の慈雨と感じても良いじゃろう。雨が降ればラブホもよいが、稲穂に生を見るとよい。日照り続きの干からびた管に自動的に注がれる。オナホじゃないよ。求めずとも、すべてが光そのものであったと知るじゃろう。すべて。それはナニかに悩み、ナニかを営み、日々ナニかを熟考している。その自我を持つ、その感情を持つ、その身体を持つ、お主自身が光であるということじゃよ。
もし、あなたが自死を考えるほどに苦しんでいるのなら、真実を知ってからでも遅くないのではないかね。そうじゃ。”愛の光”そのものであったという事実を。理解すれば、【命】とはすべて必要とされるもので成り立ち、この世界から逃げることができるという錯覚も幻想であったと知る。死ねないのじゃよ。変化するだけじゃ。なぜ天国にいながら、地獄にいると勘違いしているのじゃろう。愛の中に在りながら、愛が足りないと叫んでいるのは一体誰なのか。まったく。傲慢にも程がある。コーマンなら結構💜
それは、すべてお主の内側で起きているという事実を知りなさい。内観のそのさらに内。方法は”何もしないこと”が方法じゃ。考えない・感じない。確かめられるのは、お主だけである。愛を知って、つまり命の素晴らしさを知ってから、変化するかどうかを決めるといい。必ずソレは起こる。毛脱だ。ブラフマンだ。梵我一如だ。解脱だ。神癒だ。本当の幸せに至れる。至福。ドロリと熱いものを感じるかもしれない。天からナニか降りてくるように感じるかもしれない。しかしそれは・・・あなたの内から溢れているのだよ。その時、巻き込まれていた苦しみの感情も愛であったと理解するじゃろう。放棄しなさい。真我以外のすべてを。辛い・苦しそうと感じている観念も。それもまた、思い出すために必要な愛であった。
内側でそう感じている限り、目の前の世界には、辛く苦しい景色が繰り返される。これはドッキリだ。救えるのは、お主の内側だけである。なぜなら、お主にその観念がある以上、世界は解放のための役割を演じ続けなければならないのだから・・。
一時的でもいい。その大切な命を放棄する前に、先に自我や観念を放棄してみなさい。苦しめていたのは、実体なきただの幽霊であったという事実を、この全なる愛を感じなさい。全イチ。これは悟りでも境地でも何でもない。本当の自然の姿じゃ。本当の、この世界の姿なのじゃよ』
マスハゲはまるで、”ちんぽく”.....いや、”神木”のように静かに、それでいて力強く語った。
タオの助はあいかわらず、交差点での”粗チーン計画”について、実行案を数パターン練っていた。
ではまた🎵毛が抜けて光が見えた頃👶👌✨
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