僕がnoteを始めた理由(自分の体験が・・・・)
自分が体験談を人に見られる形で書くようになった経緯についてちょっと話したいと・・・・本当にここ最近のことなんです。
まだ自己紹介をしていませんでしたね。失礼しました。
僕は飛竜ハク、2度の離職を経験し、職業訓練中の23歳です。最近性自認にも変化がありました。
今までお薬は
エビリファイ
リスパダール
コンサータ
インチュニブ
セルシン(パロキセチン)
オランザピン
3/18追記
医師と相談してリスパダールをオランザピンに変えてもらうことになりました
を経験してきています。
(体験談にも書いているので、見ていただけると嬉しいです・・・)
幼少期から自分の発達障害と闘ってきました・・・・
いや、それは少し語弊があるか・・・
発達障害自体は倒すべき敵ではないのだから・・・
発達障害という診断が出たのが本当に幼少期の頃でした。5〜6歳ごろ、2005年前後のことだったと思います。
今思えばそれ自体が幸運だったのかもしれないし、ある意味不幸な側面もあったのかもしれません。
結局学生の間には社会でやっていくための工夫や環境整備、訓練はできませんでした。
何せまともに授業にすら出られなかったのだから・・・・本当にできなかったんだろうな・・・・
(実は人並みにもっと遊びたかったのは秘密)
何とか卒業証書だけもらっていて、新卒で入った会社も数ヶ月でクビに、次に入った障害者雇用も9ヶ月ほどで体調を崩して離職。その次に入った生活訓練も環境が合わなくて3ヶ月で辞めました。
今は幸いにも自分にあった就労移行支援でこれからのことを考えています。間もなく利用期間が1年になります。
今困っていることはまさにお金や仕事・・・
いや、本質的には「ストレスを緩和するために刺激物を求める特性」なのかもしれません。頑張らないと、働かないと、何か進展がないと落ち着かないので、これも刺激物なのかもしれません。
何となくお察しの通り、僕はおそらく「HSS型HSP」の特性も持ち合わせているでしょう。もちろんこれは、ASDの感覚過敏とこだわり、ADHDの衝動性と多動性にも当てはまると思います。多分、HSPと発達障害はコインの裏表のようなものだと思います。
もちろん恩恵もあります。自分ではあまりピンとこないですが、とにかくいろんな趣味を持っています。
・絵を描くこと
・文章を嗜むこと
・バドミントン
・ソフトテニス
・3Dモデリング(最近はやってない)
・パソコン(windowsもmacも持ってます)
・ゲーム(ソシャゲもコンシューマーもやります)
・コーヒー(カフェ巡り)
・グルメ等・・・・
(いずれは自分の趣味についても語りたいな・・・)
さて、ひとまず自己紹介はここらにしておいて・・・
僕がnoteを始めた経緯について、でしたね。本当にここ数週間のことなんです。
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元々、学生の時からブログはやろうと思っていました。そのためにセミナーに入ろうとしていたくらいです。でも、本当に何をすればいいのかわからなかった。
何せ「お金を稼ぐために、マーケティングのために何かを作ることがピンとこなかった」のです。
一応、後々売れるためにイラストを描いていた経験もあったのですが、心のどこかであまり乗り気にはなれなかったのだと思います。
今でも思うのですが
「本当に誰かの役に立たなければ作りたくない」と思っていたのです。
結局、誰かの役に立っている実感がないまま2021年から仕事を転々として3年ほど経ちました。
本当に会社の仕事は一生懸命、誰かの役に立ちたいと思っていたんです、でもそれが叶わなかったから、その実感が得られなかったから続かなかったのかもしれません。
個人的な感想にすぎませんが責任感を求める割には顧客と社員のことをちゃんと見ていない仕事の仕方をする人が多かった気もします。(その一方で会社の人たちとも協力したかった・・・)もちろん、彼らはちゃんとやっているのもわかるんです、言いたいことも。
でも、仕事場の粉塵や油漏れ、温度管理や在庫管理が甘いことが気になるのは僕だけでしょうか・・・・?本質的でないことばかりだと感じるのは僕だけだったのでしょうか・・・?
(本当に新卒のくせに生意気ですみません、そりゃいい印象は持たれないよな・・・)
このように生来のこだわりの強さで周りとの軋轢が常にあったのです。
もしかしたら、今の就職難はそれを教えてくれていたのかもしれません。
「本当に誰かの役に立ちたい」という自分自身の心の叫びを。
結局、コロナ禍の中、三回ほど組織を転々としてどんどん病んでいきました。そして、去年の春に今の就労移行支援に通所を始めました。
そしてしばらくそこで訓練して、いろいろな視点が変わっていたように思います。
それはまた別の機会に書きたいと思います。
前置きが長くなりました。それはそれとして、これは数週間前のこと。
元々、事業所の本をたくさん読んでいましたが、その中に「うつ病九段」(先崎 学)のコミカライズ版があり、僕自身も鬱症状に昔から悩んでいたので愛読していました。最初に読んだのは去年の夏頃でしたが、その時にはただ「いい本だなあ」と言って読み終わった程度でした。
ふと、約2週間前でしょうか・・・もう一度その本を読んだときにふと最後のプロローグを見たのです。先崎さんがこの本を執筆した経緯が書かれていたのですが、それを見て、自分も・・・
「自分の病気の経験談を書くこと、それもうつ病などの心の病気の経験談を書くことはいろんな人にとっての貴重な資料になる」
というのも、ここ最近は医術書としての、知識としての発達障害や鬱の本、またはそれを学ぶためのコンテンツは増え出してきているのですが・・・(それももっと見る人が増えてほしい・・・)個人の経験談を知る機会はなかなか得られないと知りました。
自分ももちろん、知識をつけることで何とか今はやっていけていますが、実際の経験談を聞くことは今の事業所に通うまではほとんどありませんでした。(だからこそ、自分が悪いんじゃないかってずっと自分のことを責めていました。)
最も、間違っているかもしれませんが、自分が生まれた2000年代には肌感覚でその知識すらまだまだ黎明期だったと感じるくらいです。概念としてADHDが使われ始めたもの90年代後半だったんですね。インターネットも身近なものではありませんでした。(正確には今よりも普及が遅かったのかもしれない・・・)
幸運にも僕は知識には恵まれていた方だと思います。きちんとした知識のある主治医と、相性はともかく効果のある薬があったこと(コンサータですら認可が2007年だったんですね・・・)
書いてて思いました、僕たち発達障害は「まだまだ黎明期なんだ」と。
だからこそ
今後僕の経験談が後に続く人たちの慰めと癒し、そして人生における打開のための一つの資料として。
そして、発達障害に関わる(ニューロダイバーシティと言ってもいいかもしれません)すべての人の助けになればいいなと思いこの寄稿を始めました。
何よりこれは自分のためでもあるかもしれません。
一番助けられているのは自分自身なのかもしれません。
発達障害の人も、そうでない人もみんな幸せになりたいに決まっているじゃないですか・・・みんなで幸せになりましょう。
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