第一次世界大戦後のそのような厄災を生み出す社会や文化そのものを否定するダダイスムやそこから派生したシュールレアリスムが流行した時代、彫刻の分野では画家として有名なマックス・エルンスト、フランスのジャン・アルプ、スイスのアルベルト・ジャコメッティなどが、流行したダダイスムやシュールレアリスムなどに大きな影響を受けて制作を行なってた。
また、ジャコメッティは第二次大戦の後に作風を大きく変えて、長く引き伸ばされた人物像を作りフランスで大きな評価を得ることとなっており、その様式は「実存主義的」と呼ばれた。
また、20世紀に入ってフォーヴィズム、表現主義、キュビズム、未来派、新造形主義、ダダイスム、シュールレアリスムなど多くの新しい美術の様式が展開されてゆく横で、「眠るジプシー女」などの作者で、シュールレアリスムの先駆けとされる幻想的な絵画を描いたフランスのアンリ・ルソーに代表されるような画家を本業としない素人の画家達、いわゆる「素朴派」が20世紀初頭から増加しており、この一般人の美術への参入と評価は美術の最も重要な点であると言える。
また、この時代にはロシア領ベラルーシのユダヤ人出身で華麗な色使いや愛を題材にした作品を特徴とする巨匠画家マルク・シャガールや、飲酒治療で絵画を始め高い評価を得たモーリス・ユトリロ、シャガールと同じくロシア領ベラルーシのユダヤ人出身で歪んだ強いタッチを特徴とするシャイム・スーティンなどパリで活躍した画家達の一部などが特定の美術運動には関わらず、絵画の制作を行なっている。
日本出身でエコール・ド・パリの中で活躍した裸婦画で有名なレオナール・フジタも特定の美術様式を用いてはおらず、彼ら特定の流派に属さない画家や素朴派などのような画家の登場は従来、注目が集まらなかったようなメインの層の芸術家ではない人々も20世紀には評価されていったという事を示していると言える。
その後の1945年に、数億規模の犠牲を出した第二次世界大戦が終結すると人間そのものへの問いかけを含む悲劇的な様相を表現したような、戦争の影響の強く出た美術が多く登場することとなった。
また、戦争の影響でシュールレアリスム、抽象絵画、モダニズムなどの美術家達がアメリカのニューヨークに逃れた事で、アメリカでは巨大なキャンバス、画面に中心がなく地と図の区別がない、完成形より過程を重視するなどの特徴を持った「抽象表現主義」という様式が誕生、世界中に広まっていった。
この抽象表現主義の中では「アクション・ペインティング」と呼ばれる絵の具を垂らしたり飛び散らせたりする方法を使ったジャクソン・ポロックという画家が非常に著名となっている。
他にも同じ時期のアメリカで生まれた色彩の面で塗り込める「カラーフィールド・ペインティング」の代表的人物でもあるバーネット・ニューマンやロシア出身のマーク・ロスコ、オランダ出身のウィレム・デ・クーニングが抽象表現主義の巨匠とされる。
彼ら抽象表現主義の芸術家たちは「ニューヨーク・スクール」と総称して呼ばれており、彼らの活躍によりアメリカ最大の都市ニューヨークはヨーロッパのパリやロンドンに代わって新たな美術の中心地となった。
このようにアメリカを中心に抽象表現主義が盛んになっていた一方、抽象絵画ではなく大部分をデフォルメした人物像を多く作ったフランシス・ベーコンという非抽象(具象)にこだわった芸術家も活動していた。
また、フランスではキュビズムなどの幾何学的な抽象絵画に対する反動によってなのか無意識的な筆の動かし方や、絵の具の飛び散り・垂らし技法、走り書きを使った抽象的な激しい「タシスム」もしくは「アンフォルメル」と呼ばれる、アメリカの抽象表現主義に相当する様式が誕生した。
このアンフォルメルでは精神病患者の描いた絵画をまとめた「アール・ブリュット(生の芸術)」というジャンルを提唱したジャン・デュビュッフェや、アンリ・ミショー、ピエール・スーラージュ、アントニ・タピエスなどの画家が活躍しており、このアンフォルメルの様式は1950年以降になって、大きな評価を得ることとなった。
このような戦後に誕生した抽象的な美術は多くのメディア、そして多くの一般民衆達から「子供の落書き」などと揶揄されながらも、感覚に訴えかける新鮮な迫力を持った表現の様式であるという評価も多くなされ、現在では洗練された美術というような地位を確立させていると言える。