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“刃(やいば)を研ぐ”ということ

びっくりするような原稿が上がってくる

報道局から異動したのでニュース原稿を書くことはなくなったが、いまは部下が書いてきた社内報的な記事の添削をしたり、社内行事の台本のようなものを書くことが多い。

目を覆いたくなるように悲惨な原稿が上がってくると、思わず頭をかかえる。今になって気づくのだが、報道の部下はまがりなりにも“記者”を志向しているだけにここまでひどいものは出てこなかったのだ。しかしその原稿をシャキッっと直すことができるとかなりの快感があることも確かだ。

毎日の“修行”

毎日のnote更新も似たような感覚だ。

「よし、きょうはこれで書いてみよう!」とネタが決まればあとは内容の展開や落とし所も固めないまま筆の勢いに任せてどんどん書き進む、これまた快感だ。これは出勤前のタスク。

パソコンで書いたこの下書きはスマホに落として朝の3駅30分ウォーキングの時間に読み直す(歩きスマホはいけません)。そして出社したら真っ先にA4にプリントアウトしてデスクの脇に置いておく。業務のちょっとした空き時間に推敲をするためだ。

一番楽しいのはこの推敲作業かもしれない。勢いで書いた第一稿はどうしても論理展開や表現がクドくなりがちなので、「刃を入れて余計なぜい肉を削ぎ落とす」という感覚だ。

意地でも毎日noteを更新することは確実に発想・執筆・推敲の鍛錬になっていて、推敲の刃はこれによって途切れなく研ぎすまされている。

文章上達のためにやることは

文章を書くことはどんな職業にも必ずついて回るだろう。メール、謝罪文、報告書、企画書・・・。書店には文章術の本が溢れている。文章を書くことが好きで、業務で書くことがまったく苦にならないという私の性向は大変ありがたい。

子どものころから本が好きでいい文章に大量に接してきたこと、自然にボキャブラリーも豊富になったこと、報道の記者として大量の文章を書きそれを直してもらったことの総合力だ。

文章上達の王道は「たくさん読んで、たくさん書く」。これしかない。すっかり大人になってしまった部下に今さらこれをやらせることはほぼ不可能。だから「これはこうした方がいいよね。心がけてやってみてよ」とニコニコ指導しながらも、内心はバッサリ突き放してしまっている。

一生かかる。
(21/11/23)

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