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だいたいのことは、良いようにも悪いようにも取れる

 あっうん偉そうだね。意識高そうだね綺麗事っぽいね!!!
 自分でも字面を見てそう思った。
 しかし、ときにはそんなありきたりな、ありふれた、使い古された、あざといことを再確認してしまったりするものなのだ。
 仕方ない。世界は普遍で出来ている。
(関係ないけど、「ありきたり」が「在り来り」と変換されるのを見て始めて「これ古文だったのか」と気づいた)

 そして、せめてうまい例えを出そうと考えてまた苦戦してる。「コップに半分水が入っている時、半分しかないと考えるか〜」みたいな、在り来りなやつしか出てこない。んー、貧困!
 仕方ない。平均的であるということは凡であり貧であると捉えてしまうのが人の常。


 そういえば、「平均」を基準に、つまり真ん中、及第点のラインとして考えてきたことってあまりない。私の周りにもそういう人はあまりいない。
 平均を下回るのは「論外」であり、平均周辺であることは凡庸で没個性でつまり無価値に等しく、突出したことだけが「及第」。
 平均とは? と原義を問い質したくなるような現象だが、あらゆることにおいてそういう意識を持ってしまっている。
 すぐれていないものは、劣っている。そういう感覚。

 目立ちたい賞賛されたい楽して稼ぎたい。

 「認められたい」はただ「居ていいよ」と言われていることにとどまらず、「あなたが必要で、いてくれないと困る」と求められたいということ。

 決して、「食べるにも寝るにも困らないけれど、明日居なくなっても誰にも気づかれないし、誰も困らない」という暮らしを喜べはしない。

 人はパンのみにて生きるに非ず、とは何千年も前に書かれたことばだ。いや、これが「楽して稼ぎたい」につながるとまでは、言わないけど。笑


 すぐれていたいのは、それだけ人に求められたいから。
 家族や友人だけでなく、もっと遠くのもっとたくさんの人に求められることは、身近な人だけに求められるのとは違う肯定感をもたらしてくれる。

 なぜなら、直接の利害や損得がない相手だから。ギブアンドテイクではない場所からの、純粋な、能力や人格に対する賞賛だから。
 自分の成したことそのものに対する評価だから。


 逆にいえば「仕事」というのはそれを与えてくれるもっとも身近な場で、だから(家族や友人ではない)「社会とのつながり」がもたらす力は大きくて、実際に、自分の価値のウエイトをもっとも大きく置いてしまいやすいフィールドだし、働いていないことが自己肯定感を著しく下げてしまったりする。

 働いていても、そう、「平均よりいい地位、いい稼ぎ」であるかどうかが人間社会のヒエラルキーそのものになっていたり、人としての「スペック」「ランク」などと呼ばれて格付けされたり、勝ち組だ負け組だと呼ばれたり、自ら呼んだり。


 さて。「サードプレイス」という言葉がある。
 家庭でも仕事でもない、第三の場という意味の言葉で、ここ数年広まりつつある言葉ではないだろうか。

 これって言い換えれば「第三の価値観」なのだと思う。
 たぶん、多くは「私の個性を評価してください」っていう場になっている。noteはまさにそうかもしれない。
 評価してください、は乱暴かもしれない。
 言葉で人となりを見て、私と関わってほしい。そういう場所。

 忘れてはいけないことが、一点。

 何番目の場所であろうと、そこに優劣を作ると自分が苦しくなるのは同じだということ。
 認められたい、平均よりも上でいたいと思いながら、争わない場所を望んでいる。そういう風景をよく見る。ときどき私自身もその風景の一部になる。
 noteのような場所だって、争いの場にしてしまうことはできる。フォロワー〇人「しかいない」、スキが「あの人よりすくない」。

 たぶん、その思考で進むうちは、どこまでいってもずっと苦しい。

 サードプレイスは、その価値観を「ひとつじゃない」と捉えることで自分自身で選ぶ力を培うために持っておく場所であって、場が価値を決めるわけではない
 そこだけは、間違わないようにしないと、依存体質からは抜けられない。

 私たちはどこまで行っても、どちらにも取れる境目にいる。世界チャンピオンか世界ワーストでない限り、ずっとずっと境目だ。
 価値観なんて見越し入道と同じだ。ひとが見たように、大きくも小さくもなる。

 薬が手放せなくても、会社員やれてなくても、コミュ障でも、そのものさしで自分を測るかどうか、決めるのは自分なんだ。

 だけど、そのものさしを自分だけの力で持ち続けることもまた、難しい。

 だから、一番(楽な自分を選んで生きていけるという意味で)強いのはきっと、
足るを知って、
自分を尊んでほしいと思う以上に相手を尊んで興味と愛を向けられる人、
今あるものと今いる人に感謝できる人
……なんじゃないかな、と思う。

 わぁ。結局、すごくありきたりなところに着地した!笑
 でもね、心の羅針盤は常に同じほうを向けていたいよ。

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