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The White Tiger

By Aravind Adiga

近所の行きつけの図書館の「要らない本の箱」で見つけた本。

ぱっと見、めちゃキレイだったので、全く面白くなくて読まれなかったか?面白過ぎてあっという間に読まれちゃったか?どっちかな???と思っていたのですが。

当たりでした♪

フィクションの勉強のために最近買った本そっちのけで読んでしまいました。

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舞台はインド。

ちょっと『罪と罰』っぽい。

『1984』っぽいところもある。

バンガロールの起業家が中国の首相(書記長?)宛てに手紙を書いて自身のストーリーを語るという設定がおもしろい。だけでなく、ちゃんと意図(主にインドと中国の政治・統治体制の比較とか、両国関係の動きを想像させるとか)があって、それがコンパクトな作品の中に収められていることに感心させられる。

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フィクションなので、インドの実情については、誇張や抽象化・単純化もなされているのだろうけれど、本当に世の中には多様な人々が生きているのだと思わされます。

分かり切ったこと、と思われるでしょう。

私はそんな多様な人々の人生を基本的にどれもムダだとは言いたくないのです。かといって「これぐらいなら合格」みたいな人生ってのもないだろうと。

モノを与えたり、最低限の医療や教育へのアクセスを、とも思えない。気持ちとしては全員に衣食住が確保されてむやみに生命を脅かされない人生を、とは思うのですが。。。非現実的かなと。。。本作を読むと益々そう思わされます。

随分甘いな、と思われるかもしれませんが、もしも冷たく見捨てちゃったり、もっと積極的に排除したり、生命を奪ってしまったりしても、生き残っている人間にはせめて弔いの気持ちを持ち続けて欲しい。私はそう思います。

忘れちゃうのは仕方がないところがある。

残酷なのはさくっと切り捨ててしまっているのに気付きもしないとか、気付いているのに「仕方ない」としか言わないとか。。。

結構「よい人」も、真面目に生きてりゃそれ以上何ができる?と信じて疑わないような現代。。。

いや。現代に始まったこっちゃないんだろう。。。

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そういう生き物だと。

受け止めるとしても、いや、受け止めるからこそ、私は言葉に拘りたい。

ただの通信の道具なんかではない言葉。

人間が生きているからこそ可能になっている言葉。

ただの道具ではない以上、夢だって描けるようなものではないのだろう。

どんどんと簡素化、標準化が進んでいき、私たちの人生の多様性なんて無慈悲に見捨てていってしまうほどに既に表現のバラエティは貧困化している。

空間は標準化された言葉。

”標準化”されているということは、つまり、空間にはそこに含まれる要素(人間など)個々の時間が寄せ集められ、とあるカタチを成している。したがって、”標準化された言葉”(カタチ)からは、個別の時間を読み取ることができる(読もうと思いさえすれば)。個別の時間を読み取り、語ることができるなら、標準化された言葉によって固定化されているように見える空間も、若干自由に定義し直せる可能性はある。希望といったってこの程度。敢えて取り組まない人間の方が圧倒的に多いのもうなずける。

それでもやりたいと思うかもしれない奇特な人々のために示しておくと。

出発点は、いわば、標準化された言葉(カタチで認識される空間)に無数にあるはずの時間(標準時以外の時間)を読み込み活性化させるイメージ。言葉はルールを持っているけれど、それだけを分析したところで強烈な標準化圧力に抗しきれるものではない。逆にパワーリソースとして悪用されるのがオチだ。ルールは標準化を指向する。でも、言葉のルールは永遠にネゴされ続ける。

どうしようもない人間の性は、常にカタチをファイナルと(仮にでも)置かずには先に進めないところにある。なぜ?出発点を(仮にでも)決めるため。出発点がなければ線も引けないでしょ?現代人は、見えている世界のあれこれが、客観的に見て事実(仮のファイナルの姿)だと言いたい。言わなければ何も語ることができない。

他方、人間は未来があることが分かる。少なくともこの一瞬で全てが終わるとは思えない。思ったところで次の瞬間も生き続けている。

全ての言葉はある意味ウソだ。

未来のことを語っているとみせかけて(騙って)、実は卑近な現世のあれこれについてそれらしい理由をこねくり回したいだけなのだから。見えてしまう未来がよこす不安を紛らわすために。

モノだけで人間の心は救えない。というか。。。人間だってモノの一つ。

取り付く島は、モノについて理解すること。モノとモノと私の関係が分析できる動物って多分今のところ人間だけだ。

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生きるということはエネルギー問題である。

けれど。

それが分かったとしたって全ての時間を数え上げることだって叶わないし、ましてや、読み上げるなんてことはほぼ不可能だ。

その不可能性は、これまたエネルギー問題。気合の問題ではない。

一様に平等なんてものは夢物語でもなんでもない。寧ろ押し付けの悪夢と言った方が近い。

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鼻の穴を膨らませていきっている人も、それを自分が死ぬまでやり続けていいのかどうか?は一瞬ぐらいは惑ってみることですね。

「それでいい」って言ってくれるものが存在するなら、それはあくまでも自分自身(の存在を可能ならしめている何か)。具体的な他者であろうと、丸っと丸めた世間からの評価であろうと、「それでいい」と言っていると思うかどうかは自分で勝手に決めているんですから。ツベコベ言わずにオレが成し遂げてきたものを見よ!?ええ。ええ。見ていらっしゃいますとも。大事なのは死ぬまでどう生きるか。どう言い繕おうが、逃げ場なんてありませんことよ。

何百万ドルの財産を登記簿に記したままお墓に入るもよし。

それが尊敬に値するかどうか?はその人次第。

一概には決められません。

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