見出し画像

子供時代の貧困と虐待生活  ー3ー

両親が離婚、母方の実家を仮の住まいとした居心地の悪い生活が始まった。そこには子供のことを考えるような大人はいなかった。
酒浸りの祖父、ギャンブル狂いの祖母、子供を引き取ったクセに働かない母。

愛情なんてこれっぽっちも感じられない家庭。

でも子供にとっては、どんなに嫌な家でも帰ってくる場所はそこしかない。

ちょうど冬休みに関西から九州に引っ越してきたので、冬休みが終わると新しい土地で、新しい学校に通わなければいけない。
正直言って怖かった。
言葉も違うし、友達もいない。ましてや僕は、一人っ子特有の超人見知りだ。

恐怖を抱えながら転校先の学校に通った。

案の定いじめられる。言葉の違いをいじられる。バカにされる。何度も泣かされた。

家に帰り、母親にいじめられてることを告げると「アホか、言い返せそんなもん」と取り合ってくれない。取り合ってくれないどころか、情けない男だと笑いものにされる。

どこにも気持ちのやり場がなかった。

大人になった今、当時のことを思い出す。
僕はあの頃、小さいながらも一人で孤独に闘ってたような気がする。誰も自分のことを見てくれてないし、誰も助けてくれなかった。
学校に行きたくなかったし、家にも居たくなかった。

ほんの数週間前は、父も母も家にいた。テレビを見ながらご飯を一緒に食べ、今日学校であったことや、友だちと遊んだことを楽しく話す、そんな日常があった。日曜日は家族でオンボロのいすゞの車に乗って遊びに行く。ごくごく平凡な、それでも温かい家族だった。

その環境が、最悪なモノに変わった。

誰にも辛いという気持ちを打ち明けられないまま、月日は過ぎていく。

二、三ヶ月経ったある日の夜、僕がいる眼の前で、祖父が酔っ払って「いつまでもお前らを家に置いとけんぞ。はよ出ていけよ」と、母に言い放った。
僕も母も、歓迎されてるわけではないんだと、その時はじめて知った。
母は働くこともせず、毎日パチンコに行ってたし、そう言われても仕方ないんだろうけど、まるで僕にも早く出て行けと言ってるかのような言い方だ。

居場所がない。
僕たちは歓迎されていない。
祖父の放った心無い言葉が、子供だった僕の心に深く刻み込まれた傷になる。

その数週間後、母は近所のアパートを借りた。
僕たち家族以外、誰も住んでいない、おばけ屋敷のような暗いアパートだった。

つづく

もしサポートをいただけたら、ボクの記事はさらにおもしろくなり、おもしろい記事を書くために精進し、より一層脂肪を蓄え活動のエネルギーとし、仕事を辞め、病んだ心を癒やし、趣味を楽しみ、世界を旅し、港、港に妻を作り、グレートバリアリーフを望む丘に豪邸を建て、アナタに毎日感謝の祈(文字数