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多様性の矛盾へ

《多様性》という言葉が流行っている。前から知っている言葉だが、最近新しい多様性の考え方を提示する概念を知った。



寛容のパラドックス


もし社会が無制限に寛容であるならば、その社会は最終的には不寛容な人々によって寛容性が奪われるか、寛容性は破壊される。

カール・ポパー


この理論が指摘する《寛容社会》矛盾点として、まずルールが曖昧だ。何をしても許される社会があるとして、その社会は善人たちによって秩序を保ってきた。
しかし「寛容な社会というなら不寛容を認めろ」という人もいるなら、その意見と行動も寛容な社会ゆえに通ってしまう…という理屈だ。


しかしこのパラドックスは解消できる。

《自由》で置き換えるとわかりやすい。

好き勝手やるとしよう。

殴る、盗む、拘束する…。

自分は自由だ。しかし結果的に他者の自由を奪っているので、その自由は認められない。


結論

①思想や発言は自由だが、行動に移してはならない

どんな極端で風変わりな思想や発言も、多様性のひとつで間違いない。
しかしそれを行動に移すことによって、他者の多様性を潰すことになってはいけない。

「みんな同じになれば戦争も起きないゾ!」
「マッドマックスみたいな世界になれば単純でいいな」

これらの行動は文化や個性の破壊につながるため、結果的に全体の多様性を損ねる。
多様性は個人のためにあるのではなく、人類全体のためにあるのだから個の思想が集団にネガティブな影響を与えてはならない。

②寛容には線引きが必要

法律と同じだ。
自由だがルールは守らなければいけない。
ルールを守れないものは寛容の恩恵を受けられない。

③世の中は中心がない

自分中心で回っていれば、他者の自由や個性、パーソナルスペースなどは踏みにじっていい。
しかし民主主義国家はみんなが中心なので、ひとりひとりの自由や個性、パーソナルスペースを守っていかなければならない。

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