みっきー

名古屋で菓子製造業をしている登山者です。 高いアルプスも好きだけれど、低山も好き。 人…

みっきー

名古屋で菓子製造業をしている登山者です。 高いアルプスも好きだけれど、低山も好き。 人と一緒に登るもの好きだけれど、ひとりで自然を味わいながら散策するのも好き。 自然と人との最適な関係を目指す、「山のパートナー」を目指して日々勉強中です。

最近の記事

みっきーのリアル登山者の端書き#731『分断から連続へ』

世の中の問題は、「分断」が原因となっていることが多いように思います。 個人の意識で考えると、「自分のことしか考えない=周りから自分を分断している」ということだと分かりやすいでしょうか。 環境問題を考えると人と自然環境を分断していることが、その背景にあるように思います。 では自然環境問題に対してどう立ち向かうかの骨子は、都市と環境を再びつなげる=連続性のあるものにすることにあると思います。 先ほど挙げた個人の話で言うなら、「自分のことだけでなく、周りのことも考える」ということ

    • みっきーのリアル登山者の端書き#730『二回目の株杉のお話』

      山の写真を見返していて、蕪山の株杉についてのテーマにしてみようかと思ったところ、まさかの2年前の4月26日というニアミス日付で株杉についての投稿をしていました。 この頃になると、株杉のことに思いを馳せてしまうのでしょうか。 ひょっとしたらそれは、株杉の森が持つ緑のイメージと春を私自身が強く紐づけているせいかもしれません。 私は春、秋と冬の蕪山をそれぞれ登ったことがあり、いずれも季節の雰囲気を醸し出す空間となっていました。 (夏の蕪山は「ヒル地獄」と言われているので足を踏み

      • みっきーのリアル登山者の端書き#729『山が呼んでいる』

        先日の気持ちのいい晴れの午後のことです。 昼休憩時に街中を歩いていたら、ちょっと強い風が吹いてきました。 その時の耳残る風の音が、山の稜線で感じた風の音に似ていて、一瞬ですが頭に山の情景が浮かび上がりました。 自分は山の稜線の上に立っていて、眼下には草原帯が広がっている。 まだ新緑の草々は生えそろっておらず、やや白っぽいその草原の向こうに、より高い山々が並んでいる。 そんな情景を持つ山は、鈴鹿山脈か、或いは阿蘇の山脈群だろうか。 一瞬だけ頭をよぎったふわっとしたビジョン

        • みっきーのリアル登山者の端書き#728『写真の整理について』

          前回の投稿で「ギンリョウソウ」を紹介したのですが、実はその写真を見つけるのにとても苦労をしました。 というのも、「いつ頃・どこで」という情報があやふやだったので、今までの登山の写真フォルダをひとつひとつ探していかなければいけなかったからです。 お陰様で15分ほど写真探しに費やしてしまいました。 私の登山写真は、登った年月日+山座名のフォルダ別でまとまっており、写真一枚一枚のファイルに名前がついているわけではありません。 また、写真の内容について名前が振ってあるわけでもな

        みっきーのリアル登山者の端書き#731『分断から連続へ』

          みっきーのリアル登山者の端書き#727『ギンリョウソウ』

          私が登山を始めたてのときに覚えた植物に、「ギンリョウソウ」(銀龍草)というものがあります。 ぱっと見は草というよりキノコに近い姿をしている、真っ白で変わった植物ですが、一応多年草扱いになっています。 真っ白な見た目と、うつむいたような形をしていることから、ユウレイグサ、ユウレイダケなどとも呼ばれています。 登山の始めたてで、まだ植物についてのアンテナが伸びていなかった私でも、この変わった見た目と名前の植物は印象が強く、ずっと覚えていました。 奥山でしか見かけない珍しい

          みっきーのリアル登山者の端書き#727『ギンリョウソウ』

          みっきーのリアル登山者の端書き#726『コツコツと筋肉痛』

          最近は登山を含めた運動がほとんどできていないので、運動の後は日々筋肉痛に苛まれています。 登山をしているときは全くそんなことがなく、当日の若干の疲れがある程度で済んでいました。 それは長く激しい行程でも同じで、私が経験した中でも白馬縦走や槍ヶ岳、双六岳などでは8時間ぐらい歩き続けた行程もありましたが、そうした中でも筋肉痛はありませんでした。 その理由としては、その頃は低山だったとしてもほぼほぼ毎週山に登っていたことがあり、足が山向きになっていたおかげなのだと思います。

          みっきーのリアル登山者の端書き#726『コツコツと筋肉痛』

          みっきーのリアル登山者の端書き#725『芽吹きへの感謝』

          ベランダで育てている植物の中で、一番芽吹きが遅かったヤマグワの木が、ようやく葉を広げてくれました。 あまりにも他の木々と比べて芽吹きが遅かったので、もうダメなのかもしれないと不安に思っていましたが、その心配を吹き飛ばすくらいたくさんの葉をつけてくれています。 今年もまた安心して成長を見守ることができそうですが、これについては農に携わる人も同じなのではないかと思いました。 農業は概ね一年サイクルで、芽吹きだけではなくて降雨量や虫害など、多くの不安を抱えてるように思います。

          みっきーのリアル登山者の端書き#725『芽吹きへの感謝』

          みっきーのリアル登山者の端書き#724『山を下るときの気持ち』

          山上は人間の生活する世界ではないので、登ったら下山をしないといけません 下山するときの気持ちしては「もう下らないといけないのか・・・」というネガティブな気持ちが付きまといがちです。 そこを「下りながら登りに見た絶景をもう一度楽しもう」「次はどこに登ろうか」「下ったら温泉でくつろげるといいな」など、プラスの考えにできるとまた違ってきますよね。 行動を変えることができなくても、そのときの気持ちは変えることができる。 どんなときも気持ちはプラスにすることができると楽しいですよ

          みっきーのリアル登山者の端書き#724『山を下るときの気持ち』

          みっきーのリアル登山者の端書き#723『山に代わりにベランダで』

          先日のお休み時は娘と山に行く予定でしたが、娘が発熱をしてしまって外に出かけることができなくなりました。 お昼時には少し回復してきたので、穏やかな陽気ということもあり、ベランダにアウトドアテーブルや椅子を引っ張り出して、ベランダで外ご飯を楽しみました。 娘はかなりこのスタイルを気に入ったようで、普段食べないおかずもばくばくと食べてくれていました。 窓ガラスを隔てて外と内だけの違い。 たったそれだけでも人の気持ちを変えることができる。 環境の差というものが、どれだけ人に影響

          みっきーのリアル登山者の端書き#723『山に代わりにベランダで』

          みっきーのリアル登山者の端書き#722『山と麓と』

          登山をするためには、まず登山口にたどり着かないといけません。 登山口は概ね里と山との境にあり、交通の便が良くないので車で向かうことがほとんどです。 何回か同じ山に車で向かっていると、段々その登山口周辺のお店や雰囲気などに親しみが湧いてきます。 登山という活動は「山に登る」というアクションだけでなく、そこまでのアプローチも含めた連続したものです。 切り取って考えず、麓の雰囲気も連続させて登山という活動を包括的に見ていくことで、その行動自体の質が豊かになっていくように思いま

          みっきーのリアル登山者の端書き#722『山と麓と』

          みっきーのリアル登山者の端書き#721『命と季節』

          暖かくなり、花は咲き、新芽は伸び、虫たちは飛び回っています。 停滞していた冬が終わり、暖かい「始動」の季節となってきました。 人間も365日毎日生きてはいるけれど、暖かい時期の方が心も明るく、身体も動くような気がします。 身体と気持ちが上向くこの季節、その生命の流れに乗って物事を推し進めていきたいですね。 常に物事が一定で同じ向きで同質性であることはあり得ない。 それに対してどうアプローチしていくかが、人生の面白さなのだと思います。

          みっきーのリアル登山者の端書き#721『命と季節』

          みっきーのリアル登山者の端書き#720『人工物とそうでないもの』

          生き物の中には営巣という活動の中で巣を作ります。 蜂が作る巣なんかは、もはや恐怖の化身ですね。 ところで、そうした巣と、人間が作る家とは、どこが違うのでしょうか。 人間が作る家や建物は「人工物」と呼ばれます。 「人が工夫してできた物」、だから人工物。 その形成の素材でもなく、その製法でもなく、「動作の主体が何か」だけで定義されています。 世の中を人工物とそうでないもので分けると、なかなか危険な二元論のように思います。 世の中にあるのは「人間がかかわったもの」と「そうでな

          みっきーのリアル登山者の端書き#720『人工物とそうでないもの』

          みっきーのリアル登山者の端書き#719『度胸の話』

          私は初めての方に対しても特に緊張がなく話せるというところがあります。 先日妻から「いつからそんな度胸がついたのか」と質問されたのですが、いまいち自分でも「ここから!」というタイミングが思い起こせませんでした。 かといって、昔からそうだったかというわけでもなく、社会人の始めの頃はさほどだったようにも思います。 いくつもの経験などが積み重なってそうなってきたのだとは思うのですが、その経験のひとつには登山が関わってきているように思います。 登山をしている最中、山頂滞在時には、同

          みっきーのリアル登山者の端書き#719『度胸の話』

          みっきーのリアル登山者の端書き#718『登った山を振り返る』

          登山を終えた後、時には麓からその日に登った山を見上げられるタイミングがあります。 低山では周りが山だらけなのでいまいち実感は薄いことが多いですが、自分が今まであの場所に立っていたという実感があることは、登山ならではの体験なのではないでしょうか。 麓から見上げると、山は遠く険しく見えますが、それの頂まで登れたという事実と感動は、自分の自信へと繋がっていくように思います。 自分の達成したゴールを明確に、劇的に感じることができることの大事さを感じます。 個人だけでなく、チームと

          みっきーのリアル登山者の端書き#718『登った山を振り返る』

          みっきーのリアル登山者の端書き#717『生命が回る』

          暖かくなってくると、山の中ではたくさんの虫が見られるようになります。 クマバチ・ミツバチくらいなら可愛いものですが、ぶんぶん羽虫にたかられたり、足元をムカデが這ってたり、スズメバチが飛んできたりということもあり、一概にウェルカムとは言えないものではあります。 人間にとっては不快となりえそうな生き物たちでも、山や森の自然のサイクルの中で循環して生きている。 人間という生き物の価値基準で測らず、全体を俯瞰してみることが大切ですね。 個人の生き方の中でも、自分という枠だけでとら

          みっきーのリアル登山者の端書き#717『生命が回る』

          みっきーのリアル登山者の端書き#716『山に登る人数と気楽さ』

          ひとりで山に登るは、一番気楽です。 仲の良い数人で登るのは、色々と話が盛り上がって楽しい。 大勢で登ると、相性の合わない人もいて色々と気遣いの必要があります。 趣味の登山は、ひとりでも数人でも、自分の勝手で登る人数を調整することができます。 ですが、人生の中でいくつか登る必要があったり、登りたかったりする「山」=ゴールについては、それが自分の自由に設定できないところが多いと思います。 なので人との関係を意識するということは、人生の中では避けられない事。 時には自分ひとり

          みっきーのリアル登山者の端書き#716『山に登る人数と気楽さ』