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映画に「人生の抜け道」を教えてもらう 

「映画を見に行たくて映画館に行くやつなんていない。映画なんてセックスの前座だろう」。そもそも1時間の授業ですら苦痛な性分だ。二時間も一箇所にいるなんて絶対に耐えられない。高校生の頃までは、そう思っていた。

 今思えば、いかにも彼氏がいなさそうな、田舎の女子高生の偏見である。実際、大学生になって初めて彼氏ができるまで、私は映画を一回も見に行かなかった。ひょっとしたら親と、小さい頃に見に行っていたのかもしれない。でもそれは記憶にない。親も別に映画が好きな人間ではなかった。金曜ロードショーで見るジブリが関の山だった。

 大学一年生の頃、彼氏と映画を見に行って、私の価値観は180度ひっくり返った。映画ってこんなに良いものだったのかと思った。当時の高校時代、別名「親の金で映画を見に行ける黄金時代」の肩を揺さぶって「家でゲームをして二次創作をなしている場合じゃない!今すぐに映画館に行け!」と叫びたくなった。

 今でもその映画館の雰囲気は覚えている。こじんまりとした映画館で、人がまばらで、映画の後に起こったパラパラという拍手はどこか物寂しい。肝心の作品はというと、マイナーな映画で、タイトルすら思い出せない。でも私の心には、ずっしりとのしかかるものがあった。

 彼氏との別れはすぐやってきた。大学生の恋愛なんてそんなものだろう。「大学時代の恋人と結婚」という人種をたまに見るが、変態としか思えない。しかし、映画との別れはやってこなかった。

 あの日から私は大学のメディアライブラリーという部屋に入り浸るようになった。そこでは過去の映画が見放題だった。かつての私はアルバイトもせず、親からの仕送りを全て飲み会に使っていたので、TSUTAYAでDVDを借りるお金すらなかった。今思えば、天国みたいな場所だった。そこで朝から晩までぶっ続けで映画を見ていた。もちろん単位は落とした。

 メディアライブラリーの受付の人は顔を覚えてくれて、ボンクラな映画ばかり見る私の未来を心配してくれたのか「この映画もいいよ」とおすすめしてくれるようになった。

 私は今、映画の仕事についているわけではない。人生で何の役に立ったのかと聞かれても分からない。せっせと港区に繰り出してパパ活をしたり、留学をして学歴ロンダリングをしたり、大学時代にやっておくべきことは、もっとあったんだと思う。

 でも「こういう生き方もあるんだな」という抜け道は、映画から教えてもらえた。良い高校に行って、偏差値の高い大学に入って、大企業に入る。それだけが人生だと、親や教師からは刷り込まれていた。友達もそういう価値観で固めていた。この洗脳は、ある程度まではうまくいくだろう。でも綱渡りに似ていて、実はすごく危ない。そこから外れた時の選択肢を知らなければ、死ぬしかなくなる。「道は一本じゃない」と教えてくれたのは、映画だけだった。

 今の私は道を外しまくっている。noteで公にできないこともたくさんある。「それでも、あの映画の主人公よりはマシ」と思いながら、なんとか生きている。その映画の主人公は、だいたいロクな結末にならないのだが……



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