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なかなか書き進められない人

ちょうど1年前の夏、「なりゆきの作法──道草氏の極私的文学論」という、ぼくのひとり語り+朗読のイベントを、吉祥寺美術学院に誘われてやらせてもらった。

その時の"おまけ"につくった、冊子がこれ。『なりゆきの作法 TOSHIYA SHIMOKUBO WORKS 1999-2016』。

その日は自作の朗読だけをしたわけではなくて、ぼくの大切にしてきたいろいろな文章を読んだ。自作にかんしては、ほとんどの人は読む機会がないと思うので、簡単な自己紹介のつもりで、過去に書いたもののダイジェスト的な冊子をつくったのだった。

ラインナップは、こんな感じ。

『なりゆきの作法 TOSHIYA SHIMOKUBO WORKS 1999-2016』
私の楽器
そば屋
ローラ・ニーロの街のうねり
いつも通りにたたずんで
雨の明かりと君
テーブルのある部屋
吃音をうけとめる
化石談義
吃る街
なりゆきの作法
「外出」という仕事
降り積もる夜

「朗読してみたいもの」を選んだのかもしれない(1年前のことなのにもう覚えてない)。ほとんどは『アフリカ』を始める前の作品だし(それは意図してそうしたのだ)、昔からぼくの書くものを読んでくれている少数の人以外、読める機会はないだろう。でもタイトルだけ眺めてもらおう。

その最初の方に、「そば屋」という(エッセイ? でもこれフィクションだよね? なんだろう?)がある。400字詰原稿用紙で、2枚くらいの短い文章で、1999年の2月だったか、ぼくが通っていた大学で、当時の学生たちがつくっていた雑誌に出すために、急に思い立って書いた。

何やら古風なそば屋に入って、天ぷらそばを注文して、店内を観察して、そばを食べる、カバンの中からぼろぼろになった1冊の本を取り出す、というそれだけの文章で、なんでこんなものを書いたのか、いまとなってはよくわからない。

本を取り出した後に、何やら意味深なことを書いている。もしかしたら──「ぼろぼろになった1冊の本」というのが、何か大事なことだったんじゃないか? と20年後のぼくは思う。

思い出すのは、もともとぼくは無口な人というわけではなかったとしても、吃音のせいもあって口のたつ人ではなかったはずだし、書いても、ことばがたくさん溢れてくるという感じはなかった。

ながく書くことができない。ながくと言っても、大げさな話じゃない、書き出してもすぐに書き続けられなくなるのだった。若かったから? しかしいまでも、その傾向はつづいているような気もするのだ。

それでもやり方はある。

少し書く、では、もう少し先まで書こう、少し先まで行けたら、無理しないでひと息ついて、さて、もう少し先まで書こうか、としているうちに、振り返ってみたら…

時間がかかるので、書いているうちに、構想していたものが変わってきてしまうことも少なくないが、それがぼくなりの方法になったのだなぁ。と、1年前、あらためて思ったのだった。

(つづく)

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「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、8月12日。今日は、愉快な「うんチョコ」の話。

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