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優しく背中を押す言葉、心を軽くする思考の「引き出し」を増やしたい。

こんばんは!はるねずみです。


これまでと将来について

ここ最近、自分のこれからのこと、将来について考えています。

34歳、30代前半と言っていい最後の年であり、そろそろ「若い」とも言っていられなくなるというか、地盤を固めていかなければいけない年齢ですよね。

私と同年代の方の多くは、子供がいて、お父さんやお母さんとして、家族を中心に生活の安定や子供の将来について考え、日々行動していると思います。

私の場合は、結婚はしていても子供はおらず、今後も恐らく産む予定はありません。(「いたらいいな」と思う気持ちがわずかにあったとしても、悩んでいるうちに望んでも叶えられない夢に変わるでしょう…)

なので、私が考える将来というのは、自分のことであり、これからも続いていくであろう夫との生活のことなんですね。

大学を卒業してから、居住地や職場を転々としながらでも、なんとか生きてこられました。「大学出たんだから正社員じゃないと」「奨学金を返していかないと」という思いで、幾度となく挫折を繰り返しながらふんばってきました。

けれど3年前、とうとう心がぽっきり折れてしまって、ちょうどそんなとき、そばで支えてくれる夫の存在があったために、私はひと息つくことができました。

それまでの私は、「~じゃなきゃいけない」「~すべき」という考え方で、ずっと自分に我慢を強いてきて、自分にそう思わせる周りの存在(家族、親族)への怒りを心に蓄積し続けていました。

自分で悩み抜いて出した決断や選択も、実際はそういう他人に「認められたい」という気持ちによるものだったのかもしれません。だからこそ、失敗や挫折をしても、「諦めちゃいけない」「そんなことは許されない」と自分に言い聞かせて、他の選択肢を頭から意識的に排除していたんだと思います。


夫から教わったこと

夫と知り合い、そういう私の凝り固まった価値観、義務感のようなものが、少しずつ柔軟になっていきました。

「辛いときは休んでいい」「もっと自分を大事にしていい」「無理して人に合わせなくていい」「わがままになっていい」「連絡は返せるときに返せばいい」

そういう言葉を何度も何度もかけてもらい、態度でも示してもらうことで、時間はかかりましたが、理解していきました。

人から言われなくても、それを当たり前に思える人もいると思います。

でも、私の場合は、それを「してもいいんだよ」と、人から許してもらわないとできなかったんですよね。

自分の本音を言うこと、嫌だと拒むこと、手を抜くこと、休むこと、愛想よくしないこと、そういう他人に不快感を与えかねないことはすべて「悪」であり、許されないことだと思ってきたからです。

自分にそれを強いてきたので、私も他人がそれをするのを許せませんでした。

でも、自分がそれを夫から許してもらったことで、私も夫がそれをするのを許せるようになり、夫以外の人に対してもだんだん許せるようになってきました。不快になるならないはさておき、「そうしてしまうのもわかるなぁ」「仕方ないよね」と納得する感じです。



大事にすべき人

私のスマホのロック画面は、誰かが本のページの一部を写真に撮ってSNSに載せていた画像です。

それは、漫画作家、小説家、脚本家、作詞家である小池 一夫さんという方の言葉が載っているページです。画像をそのまま載せるは良くないかもしれないので、引用して紹介しますね。

「あなたに敬意を払わない人に、あなたが敬意を払う必要はない。
あなたのことが嫌いな人を、あなたが好きになる必要はない。
あなたを大切にしない人を、あたなが大切にする必要はない。」

小池 一夫さん

という言葉です。

スリープモードから画面をONにするたびに、デジタル時計の裏に大きく、この文章が表示されます。

初めてこの文章を読んだときは、ちょっと衝撃でした。

普通にさらっと読んだら、別になんてことはない、当たり前のことに感じるかもしれないのですが、「確かに…その通りだ!!」と腑に落ちる感じというか、「そっか、それでいいんだ…」と安心する、自分を許せるような気持ちになれたんです。

なぜなら私はずっと、この真逆のことをしてきたからです。

私を下に見て、馬鹿にしたり利用しようとする人に対しても、敬意を払ってきました。

「この人嫌いだな」と思う相手にも、そう気づかせるようなそぶりは極力見せないようにし、むしろ、なんとかその人の中に「好きになれそうな良い部分」を探す努力をしていました。

私を大切にしない人に、必死にしがみついたり尽くすことで、いつか大切にされる、愛されるという見返りを求め続けてきました。

自分の好き嫌いや、自分に対する相手の態度は度外視で、「どんな人にも礼儀正しくしなければならない」「平等でなければならない」と思い、その通りに思考を捻じ曲げたり、行動してきたんです。

でも、自分の心と真逆なことをしようとすると、どうしても無理が生じて、何かしらの反応にあらわれるんですよね。

私の場合は、すごく怖くて苦手な人(元職場の女性の先輩)に話しかけるとき、怖がってないように振舞ってはいたものの、笑いながら目に涙がにじんでいました。

自分を大切にしてくれない相手のために、時間を費やしたり、思い続けたり、喜んでもらおうと行動したりしても、当然自分の望む結果にはならないのですが、尽くした分だけ執着が強くなり、諦めきれなくなってしまったりもするんですよね。

「こんなに無理しなくてもいいのかもしれない」

と、思っていたとは思います。

ただ、それはあくまで私の願望?であり、私の中でもっと大事なことは「それを他人が許して(認めて)くれるかどうか」だったので・・・

許されない、悪いことだと判断し、無理を続けてきたのです。


そもそも私自身、こういう悩みを人に相談もほとんどしてこなかったから、というのもあるのですが、「しなくていいんだよ」「してもいいんだよ」と、私の「~あるべき」「~ねばならない」という思い込みを手放す機会がなかったんですよね。

もし、もっと早い段階で、カウンセリングなり友達なり、誰かに相談できていれば、この小池さんのような言葉を、誰かにかけてもらえていたかもしれません。

ただ、私が「それでいいんだ」と思えたのが、たまたまそのタイミングでした。


すごく心が軽くなり、しっくりきたものの、今までずっと真逆の考えで生きてきた私にとって、それを自分に定着させるのは簡単じゃありませんでした。

だからこそ、毎日目にして、何度も何度もたたき込むために、ロック画面の画像にしたんですよね。

(とはいえ、最近は見慣れてしまって風景同然になり、気づいたときに読む、くらいになってしまったのですが・・・)


でも、なんか不思議ですよね・・・

生まれたときからずっと慣れ親しんできた日本語であり、難しい単語も一切含まれていない文章で、小学校中学年以上なら理解できる内容だと思いますし、自分で気づけるタイミングもあったかもしれません。

なのに、このときに読んで初めて、目から鱗が落ちるみたいな感覚になったんです。

それで、まだまだだとは言っても、少しは「私を大切にしてくれる人を大切にすればいいんだ」とか、「私を嫌いな人を、私が好きならきゃって思わなくていいんだ」と思えるようになってきたんです。

この言葉を知っているか知っていないかで、自分の心のハードルをぐっと下げられたり、無理しそうになるのにブレーキをかけることができるなんて。



↓先ほどの言葉、もしかしたらこの本に載っているのかもしれません…!(確証はない)




本のプレゼント

人からもらって、すごくすごく嬉しかったプレゼントがあります。

それは、サンクチュアリ出版の『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。』という本です。


SNS、職場、あらゆる環境において、色々気にしすぎてしまったり、後で一人で落ち込んで、負の感情をずるずる引きずってしまう…

それは、他人からすれば些細なことでも、自分にとってはすごく大きな悩みだったりする。

そういう色んな悩みにたいして、サクッと一言で切り返し、「あ、言われてみればそっか!」と心を軽くしてくれるような言葉、考え方が詰まった一冊です。

しかもすっごく読みやすい構成になっていて、一つの悩みにたいして見開き1~2ページにまとめられており、それぞれ4コマ漫画と解説文がセットになっているんです。

漫画には可愛いネコちゃんたちが登場し、思わずクスッとしてしまうようなやや大げさな表現になっていたりもして・・・

自分の悩んでいることなのに、何故かネコちゃんを通して見ると笑えてしまう、みたいな不思議な感覚になる漫画なんです!(私も笑いながら読んでました。)

この本を、会社員時代、職場の人間関係で悩みまくっていたころに、プレゼントしてもらったんです。

結局、悩みの根本は解決しなくて退職に至ったものの、1日でも長く頑張り続けられたのは、心が沈みそうになるたび軽くさせてくれたこの本のおかげです。そして、この本をプレゼントしてくれたその人にたいしても、心から感謝しています。

最近は、本棚にしまったままでほとんど開くこともなくなりましたが、ずっとそばに置いておきたい、私にとってのバイブルの一つです。



芦田愛菜ちゃんの言葉

芦田愛菜”さん”にすべきかどうか迷いましたが、テレビで小さい頃からずっと見てきた親しみを込めて、あえて愛菜”ちゃん”にしました。

愛菜ちゃんと言えば、幼い頃から子役として活躍していて、ドラマや映画、CM出演など芸能活動をバリバリ続けながら、この春慶応義塾大学法学部にも進学するなど、「人生何週目!?」とよく話題になっていますよね。さらに、ものすごい読書家であることも知られています。

今日、そんな愛菜ちゃんのインタビューの切り抜き動画を偶然見つけ、そこで語られる愛菜ちゃんの言葉に感銘を受けました。

悩んだときにどうするかという内容なのですが、ものすごく心に響いたため、少し長いですが引用してご紹介します。


「悩んだときとかは、まずは自分の中で考えて、わからないなりにも考えて、一番自分が納得して行動できる答えみたいなものを探して、その行動を起こした後は結果は決まってるんだから、後はなるようになるしかならないって思うようにしている」

「自分に人生の最終決定権があると思ってしまうと、上手くいかなかったときに自分を責めてしまって辛くなったりすることも、後悔してしまうこともあると思うので、結果は決まってて、自分はそこに行くための方法を選んだだけなんだって思えれば、納得できるかななんて思ったりします」

芦田愛菜ちゃん


動画のコメントにもありましたが、この考えに行きつくまでに、一体どれだけ悩んだり決断したりを繰り返してきたんだろう・・・と、真剣な表情と言葉からにじみ出る並外れた努力に感服しました。

仕事も勉強もルックスも、何を取ってもだれが見ても「完璧」「人間離れしている」ように見える愛菜ちゃんも、私たちと同じ人間であり、思い悩むこともあれば、自分の選んだ行動で失敗や挫折も経験し、人並みに後悔してきたのだと思います。

いくら悩んでいても、そこから抜け出すためには何か行動を起こす必要があり、失敗や後悔を恐れていては何も変えることはできません。

「結果はもう決まっている」「人生の最終決定権は自分にはない」と考えることで、行動することへのハードルを下げ、万が一失敗してしまったときのリスク(自分を責めて辛くなる)を最小限にもできるということなんですね。

けれど、行き当たりばったりとか、ただ楽観的であれば良いとかそういうことではなく、「自分が一番納得して行動できる答え」を、まずは探すのだと言っています。

この言葉を聞いて、今の私の悩みにも当てはめて考えようと思いました。

いくつもある選択肢の中で、”自分が本当に納得してできる行動なのかどうか”を判断基準として、その都度自分に言い訳したり嘘をつかないこと、最善と思われる選択をしていこうと。

失敗した分、遠回りはするかもしれないけど、失敗から学ぶこともあり、あっち行ったりこっち行ったりする中で出逢える人がいたり、発見できるものがあったりもする。

これまでもそんな感じの人生で、無駄なことはなかったと思えます。

苦しいと、つい楽な方へ楽な方へと行ってしまいやすかったり、他人軸で物事を考え、その責任を他人に押し付けてしまいそうになります。(特に私のような、自己肯定感が低くて承認欲求が強い人間の場合)

だからこそ、自分にも他人にも、その責任を押し付けず、失敗も織り込み済みで、今のベストな答えを探す努力はしっかりしよう!と思いました。

愛菜ちゃんのこの言葉、人の何倍、何十倍もの経験や努力から紡ぎ出されたものなのだと思うと、とても重たく、説得力を感じます。

それでいて、とても優しい言葉ですよね・・・

失敗や挫折、後悔、生きていると必ず直面しますが、どんなに辛くても腐ることなく、誰かのせいにしたり誰かをはけ口として傷つけたりすることなく、自分の経験した痛みや辛さの分だけ人に優しくできる、愛菜ちゃんのような人間になりたいと心から思いました。



言葉・思考の引き出し

なんだかんだ、私は人に恵まれているなと最近感じています。

知らなかったことも多いですし、他の人が当たり前にできることができなかったり、自ら生きづらい考え方をして沢山失敗してきました。

でもだからこそ、人との出会いの中で多くのことを教えてもらって、そんな人達に感謝することができました。

今回紹介したのはほんの一部であり、まだまだたくさん、もらって嬉しかった言葉、してもらって嬉しかったことがあります。

言葉一つで心が軽くなったり、本を読むだけででも思考を変化させることができるってすごいですよね。

でも、逆に言えば、その言葉を知らなかったり、言われたことがなかったり、その本を読んだことがなければ、ずっと変わらず、むしろどんどん凝り固まっていくと思うと怖いです。


本をおすすめしてもらった

最近、仲良くしていただいている方におすすめされた本を買いました。

まだ「はじめに」の部分しか読んでいない(おい!)のですが、なんというか・・・

こういうことがすごく嬉しいな、と感じます。

これは私の考えすぎかもしれないのですが、あえて「おすすめ」という言葉を使わずにその本を紹介してくださったのも、もしかして「押し付けにならないように」とか配慮してくれたのかな・・・?と勝手に想像しました。

私なら、自分が「いい!!!」と思ったら、「絶対読んで!!」「超オススメ!!」などと、良かれと思って、結果的に圧をかけてしまうと思います。「その人の感想が聞きたい」という、自分の欲求を満たすことが目的になっちゃってるんでしょうね😅💦笑

もちろん、「感想聞かせて!」と言われたら、喜んでお話ししたいですが・・・!



つまり、結局何が言いたいのかというと・・・

こういう、自分の心を軽くしてくれたり、背中を押してくれる、前向きになれる言葉や思考の「引き出し」を一つでも多く持つことが、生きづらさを解消するうえですごく大切なことだ、と思うんです。

そして、その「引き出し」を増やす手助けをしてくれる人の存在もまた、とても貴重で、大切にしたいと感じます。

相手を喜ばせたいと思うとき、あるいは助けてあげたいときには、きっと「その人が心から欲しているものを提供してあげる」ことがベストなんですね。

これも、「そりゃそうじゃね?」と思われそうなことなのですが、私はここ数日の一連の出来事のなかで、それに気づいてハッとしたんですよね😳


その人が欲しがっているものを与える

これはたとえ話ですが・・・

一人でめちゃくちゃ悩んでいる人が目の前にいるとして、でも、その具体的な中身を一切教えてくれないとします。

でも自分は、「どうにかしてその人の力になりたい」と思っています。

その人が一人でずっと考え続けて答えを出そうとしているなら、そのヒントになるようなものを、それとなく渡してあげます。

ここで、言葉や思考の引き出しが役に立つんですね。

話し相手となって、ひたすら愚痴を聞くとか、漠然とした上辺だけなぞったような話を聞くのでは、根本的な解決にはならず、あくまでその場しのぎにすぎません。

(もちろんそれで楽になったり、元気になれて行動を起こせるようになる場合もありますが…!)

本当にその人の助けになりたいと思ったときは、その人本人で答えを出し、行動させるよう仕向けるのが早いんですよね。


そういう人になりたいぜ

自分にとっては「とっくに知ってる」「当たり前」の言葉や思考であっても、他の人にとっては「初耳」「目から鱗」かもしれない。

あるいは、自分にとっても「(今まで知らなかったけど)知って楽になれた」「行動するきっかけになった」ことがあるなら、それもそれで、自分が手に入れた(増やした?)引き出しの一つなんですよね。


こういう引き出しを、勉強や経験から増やしていくことで、自分自身が柔軟に物事を考えられるようになり、生きづらさを解消していくことができるって素晴らしいです。

さらに、自分だけのものにせず、誰かのためにその引き出しを開けられる人って、もっと素晴らしいと思いました。


これからも、悩んで悩んで、沢山失敗しながら、でもそれを繰り返さないために勉強や努力もしていって・・・

その経験によって「引き出し」を増やし、私も誰かの力になれるようになりたい。

直接何かしてあげることができなくても、そんな風に、助けてあげられる人になれたらいいなと・・・

そんな自分になれれば、失敗は後悔で終わらず、結果オーライだとポジティブに捉えることができますもんね!


いろんな刺激、きっかけ、癒し、嬉しい気持ちを与えてくれる皆さんに、感謝・・・!!!


というわけで、最後までお読みいただきありがとうございました!

また次回の記事でお会いしましょう(*´▽`*)ノ


P.S. 『そういう人になりたいぜ』はかっこつける目的だけでなく、私の大好きなamazarashiの曲のタイトルです。疲れた心にグッとくる名曲!おすすめだからぜひ聴いてね!!感想もヨロシク!!!

って、言ってるそばから押し付けとるやないか~~~い!✋

もうええわ!✋

(はるねずみのひとり漫才劇場でした・・・チャンチャン🎶)

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