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いのちについて

幼稚園にあがる前に、交通事故に遭った。

友達の「危ない!」という切迫した声が聞こえた次の瞬間、映画みたいに世界がブラックアウトした。

車にひかれた瞬間のことは何も覚えていない。感覚も、音も、視界に映る風景も。どんな車が私に向かってきていたのかさえ、見えなかった。

次の記憶は、父の運転する車で病院に向かう車内の後部座席だった。私は母の膝に頭を乗せて横たわり、「痛い、痛い」とうめいていた。泣きそうになりながら懸命に私を励ます母の声。何とか冷静さを保ちながら車を運転する父の背中。母と父が、病院までの道のことで何か慌ただしく話している…

そこで再び意識が途切れ、暗闇に包まれた。

車内での記憶が実際の記憶なのか、後から自分の脳内で作り出されたイメージなのか、もはや定かでない。でも、あの「視点」が妙に鮮明に脳裏にこびりついている。

とにかく私は友達と近所で遊んでいるときに車にひかれた。乗用車の運転手がブレーキとアクセルを踏み間違え、数メートル引きずられたそうだ。父が運転する車で病院に運び込まれたのは、救急車が道を間違えて現場に到着できなかったからだと後から聞いた。

肋骨やら何やら複数箇所の骨を折って、顔、頭、背中に縫いあとがある。たまたまその病院に居合わせた権威ある先生のおかげで、顔面に麻痺が残らずに済んだらしい。頭の傷を目にするのは美容師さんくらいだし、目の周りの縫いあとは成長とともにだいぶ目立たなくなった。背骨に沿って縦に走る背中の大きな縫いあとだけが、今も事故の大きさを物語っている。

後遺症は日常生活に支障がない程度のものが1つだけ。それだけで済んだのは、本当に不幸中の幸いだったのだろう。

事故で負ったダメージはもっとあるらしいけど、ケガや手術の詳細については幼かったし覚えておらず、大きくなってからも両親から直接聞いたことがない。思い出させるのが申し訳なくて、今だに聞けない。

長期にわたる入院中の記憶はほとんどない。1つはっきり覚えているのは、手術台の上で医師に3種類くらいの果物の中でどれが好きか聞かれて、「バナナ」と答えたこと。そのあとバナナに似た甘い香りの麻酔を吸い込んで、それがあまり好きな匂いじゃなくて気持ち悪くなり、後悔しながら意識が薄れていった。

もう1つ、退院後のことで思い出した。よく母がお灸のようなものに火をつけて温め、それを金属の棒の先に詰めて、私の背中の大きな傷の上を何度もなでてくれていた。病院でもらうようなものではなさそうだし、いろいろ調べて傷痕が少しでも目立たなくなるようにと手を尽くしてくれたのだろう。効果のほどは分からなかったけど、温かい金属から伝わる熱が気持ちよかったのを覚えている。ただただ母の祈りのようなものを背中から感じていた時間だった。

あの事故で、何か1つかけ違えていれば、自分の命は幼くしてこの世から消えていたかもしれない、ということをたまに考える。

神様みたいなものに生かされた、とは感じない。紙一重で、運よく助かった。運よく救ってくれる人々がいた。ただそのことに感謝するのみだ。

これまでの人生は、楽しいことより嫌なことに耐えていた期間のほうが断然長かったように思うし、自分が嫌いで毎日苦しんでいた時期もあった。

でも、生きているほどに、生きていてよかったと思える瞬間が何度も訪れたことで過去の自分が救われた。

初めて人を好きになったとき。信頼できる人たちに出会えたとき。楽しくて夢中になれる趣味を見つけてのめり込んだとき。音楽を聴いて心が震えたとき。すばらしい映画を見て涙したとき。美しい景色の中で深呼吸したとき。彼と一緒にいるとき。

そういう時のプラスの感情は、それまでのマイナスの感情を吹き飛ばす。自分の中で強く風が吹いて、太陽が昇って、想いがあふれ出す。踊りだしたくなるような、心が引っ張られて足がどんどん前に進んでいくようなあの感覚を味わえて、本当によかったと思う。

生きていてよかった。あの時消えてしまわなくて、よかった。

今日も私は運よく生きている。どこか遠くへ旅に出たい気分だ。

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