小さな物語┊︎想いよ届け
「こんにちは。手紙を届けて欲しくて。お願いできますか?」
「おや、桜木さん。もちろんですよ」
町外れにある小さな郵便屋を一人で営む老人、榊はゆっくりと腰を上げ、桜木から手紙を受け取った。この郵便屋に預けた手紙はどんな相手にも必ず届けてくれるという。
「宛先は⋯⋯。ふむ、もしやこの方は⋯⋯」
「はい。数ヶ月前に事故で亡くしてしまった私の婚約者です」
「やはりそうでしたか。きっと伝えたいことがたくさんあったのでしょうね」
「⋯⋯本当は明日結婚式の予定だったんです。でもこんなことになってしまって。まだ伝えきれていないありがとうをどうしても伝えたくて」
「わかりました。必ず届けましょう」
「お願いします」
桜木は深々と頭を下げた。そんな桜木の足元に一匹の黒猫が擦り寄ってきた。名前はテトラ。手紙を届けてくれる小さな郵便屋さんだ。
「さあ、テトラ。大切な手紙を空まで届けておくれ」
テトラはご機嫌そうに「ニャア」と一言鳴いてから、手紙を咥え走っていった。
「榊さん。ずっと気になっていたんですけど、どうやって手紙を届けているんですか?」
「それは⋯⋯、秘密です。まぁ、魔法で、とでも言っておきましょうか」
榊は静かに答えた。
「もし、相手の方から返信があれば、その時はまたこちらからご連絡しますので」
「わかりました。では、お願いします」
桜木はまた深々とお辞儀をし、年季の入ったドアを開け家へと帰った。
一週間後、婚約者からの返信があったと連絡を受けた桜木は再び郵便屋を訪れていた。
「榊さん。こんにちは」
「桜木さん。ようこそ。お相手からの返信は手紙ではなかったのですが、こちらをテトラに渡したようです」
榊が桜木に渡したものはピンクのリボンが結ばれた一輪のマリーゴールドだった。
「これは⋯⋯」
「マリーゴールドですね。花言葉は確か悲しみと、変わらぬ愛、でしたかね」
花言葉を聞いた桜木は涙とずっと胸の奥にあった言葉を吐いた。
「本当は、今頃幸せな生活を送っていたんだろうなって思うとどうしてもやるせなくて⋯⋯。彼は事故に遭う前、花屋に行っていたそうです。誕生日だった私への花束を買うために。花言葉を一生懸命調べたみたいで、自分で選んだ花で花束を作ったって、店員さんに聞いたんです。とても楽しそうに、幸せそうに花を選んでいたって。それなのに、どうして⋯⋯彼が⋯⋯、彼が信号無視をした車に轢かれなければならなかったのでしょうか⋯⋯」
「今まで辛かったですね。きっと婚約者の方も辛くて苦しい思いをしているでしょう。それでも桜木さんに、どうしてもお花を届けたかったんですね」
桜木はマリーゴールドを抱きしめるようにして涙を流した。小さな子供のように泣きじゃくる桜木を、榊とテトラは静かに寄り添った。
マリーゴールドに結ばれたピンクのリボンがするりと解け床に落ちた。
「桜木さん。これを見てください。彼はまだあなたに伝えたいことがあったようです」
桜木は涙の止まらない目を擦りながら榊の手元を見た。榊が持っているピンクのリボンには「愛してる」と、そう書いてあった。
「本当にあなたの事が大好きなようですね」
「⋯⋯はい。今までたくさん愛してもらいました」
悲しみに満ちていた桜木の心には、優しくて温かい気持ちが芽生えていた。
「私も、今でも彼を愛しています。だからちゃんと前を向いて歩いていかないと、きっと彼に心配かけちゃいますね」
「彼のためにもこれからたくさん幸せになってください」
桜木の目にはもう涙は滲んでいない。自分はひとりじゃないと思えたから。桜木の想いは彼に届き、彼の想いは桜木にしっかりと届いた。
榊とテトラの仕事は手紙を届けるだけでは無い。依頼者とその相手の想いを届けることも彼らの仕事なのだ。彼らは今でもひっそりと郵便屋を営んでいる。今日も誰かの想いを届けるために。
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