人に何かしてやり、感謝を求めて恩を押しつけ、無意識かに縛り付けて服従させて、自尊心を満たす人間にはどう処置をすればよいのだろうか。狡猾なことに、かの人は上記のプロセスを完璧に無意識下にやりとげ、それを指摘して反発する人間を「忘恩の徒」と罵り、自身を悲劇の被害者に仕立て上げるのだ。
意見を述べることと「押しつけ」は違います。一方で、 意見を聞くことと「押しつけられること」も違います。 どちらも、自分と相手で成立しますが、だれが主体か?というところです。 自分が述べた意見で、相手が変わるかは相手の問題です。 相手が述べた意見で、自分が変わるかは自分の問題です。