十兵衛屋敷跡

明智光秀のWikipediaの記述が変わった!

何かと、日々お世話になっている『ウィキペディア(Wikipedia)』
もちろん、明智光秀公が佐目出身という古文書を見た時に検索しました。
今となっては、すっかり忘れてしまいましたが、佐目に関係する記事はほんの少し、脚注程度に載っている感じでした。でも、抹殺されずに書かれていて、とても安堵した事を覚えています。

昨夜、ふと気になる事があってGoogleで検索しました。と、言っても「明智光秀 + 

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08.出てきた!隠された「明智光秀の記録帳」

佐目集落の歴史を調べる集まりがあった。

現在、佐目の歴史を書き遺してある資料は既に亡くなられいる田畑喜與門氏が書かれた物だけだった。そこには、明智光秀に関する伝承は載っていない上に、江戸時代の記録もほぼない。佐目の歴史は、多賀町誌を見ても殆どなく、各家を回って調べられてた様子もないように思う。

昔の事はお寺に聞けと言われるが、室町、江戸の頃は違うお寺だったので、その当時の事は現在わからない。突

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06.まずい! 明智十兵衛光秀の家紋って?

あーどうしょう。
先日、井伊美術に明智光秀公から一時期家臣だった木俣守勝がもらったという具足櫃に「桔梗紋」が入っているのを見つけました。

あらカワイイ! などと tweetした後に まてよ! と気が付いてしまいました。単純に「水色桔梗紋」で検索して、光秀公のご子孫さんが書かれた本の表紙、『美濃源氏 土岐氏累代記』(S57)もチェックして、既に看板にまでしてしまった明智家の家紋。

そう、違うのよ

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04.明智光秀公の一番古い出自の文献

『淡海温故録』は、貞享年間(1684-88)に 江州白頭翁により書かれ、彦根井伊公へ献上された文献です。1582年が本能寺の変なので約100年後という事になりますが、明智光秀の代表的な伝記 高柳光寿『明智光秀』(1958)が 出自について採用した『綿考輯録(細川家記)』は、更に90年以上後の安永7年(1778)編さんされた文献なのだそうです。

『淡海温故録』の内容の特徴としては、郡別村別の記載形

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03.光秀と十兵衛は、どんな関係?

2019年10月、滋賀県と多賀町の教育委員会文化財課の方々が「十兵衛屋敷跡」を見に来て下さり、私はというと、そこからバタバタと講座に引っ張り出され、地域(多賀町佐目)の皆さんは手弁当で「とりあえず、看板はいるわなぁ」と、張りきり出し、看板が出来たのが3月。Googleさんから許可も頂いて、つい先日マップに掲載して頂いたところです。

看板の後ろ、下あたりの緑の網は、鹿と猿よけ。山間部なので獣害がひ

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02. 明智光秀公、出自の最新説

朝日新聞、全国版で明智光秀公出生の六番目の最新説と、滋賀県、多賀町佐目の伝承が紹介されました。この伝承について、具体的に動きだしたのは2018年10月で、定めとも言える偶然が重なり、滋賀県文化財課の井上氏が佐目を訪ねて来られた事から動き出しました。

●『淡海温故録』(おうみおんころく)という光秀公の出自について書いてある今の所は一番古い文書の内容と、500年にもわたり密かに佐目の見津一族に口伝と

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01.6つ目の明智光秀出生地のなぞ

来年の大河ドラマ「麒麟がくる」で明智光秀が主人公という事で、今朝(20190427) 土曜日 朝日新聞 別冊 be reportに

「明智光秀、出生地伝説が続々 産湯の井戸は4カ所も、深まる謎」

という記事が掲載されました。
noteの書き始めがいきなりこれというのも何ですが、岐阜県の恵那、可児、瑞浪、山県、大垣の県内5市が出生の伝説地として挙げられていて、「わが街こそ、光秀公の出生地」と主張

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