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『私の個人主義 』個性的なあなたへ

夏目 漱石 『私の個人主義 』で気になった部分をピックアップしました。

第一 に あなた がたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ちつけべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸であると。しかし自分がそれだけの個性を尊重し得る ように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になって来る でしょう。それが必要でかつ正しい事としか私には見えません。

個性が発揮できる場所に居て、そこでぴったりの仕事を発見できなければ一生不幸であると。ロールズの正義論では自分の才能を社会のために役立てる義務があるというようなことが主張だったような気がします。一方漱石はあくまで自分の幸福のために必要だと言っています。あくまでFor me。だが結果として仕事として社会のために貢献する。結果的にFor you。
同時に言っているのが、他者の個性も尊重しようということ。

一言で言うとこういうことでしょうか。

私は私の道を進むので邪魔をしないでください。あなたはあなたの道を進んでください、邪魔はしませんので。


近頃自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手な真似をしても構わないという符徴に使うようですが、その中にははなはだ怪しいのがたくさんあります。彼らは自分の自我をあくまで尊重するような事を云いながら、他人の自我に至っては毫も認めていないのです。いやしくも公平の眼を具し正義の観念をもつ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他にも与えなければすまん事だと私は信じて疑わないのです。

自我とか自覚というのは現代で言うところの個性だと考えています。個性という号令のもと他者を慮らない、もっというと他者の個性を認めないということがたくさんあるということでしょうか。
下から二行目の自由とはどういうことでしょうか。「その自由」というの「個性を発揮する自由」だと思ってます。つまり個性を発揮する自由を他にも与えなければいけないと言っているようです。個性の発揮の自由を他者に認めないというのはどういう状況でしょうか。出る杭を打つんじゃねぇってことですかね。現代風に言うとシステムのエラー、ハズレ値を認めろということ。卑近な例で言うと、SNSでグチグチ批判してるんじゃねぇぞということになると思います。
まとめます。

個性の発揮は構わないが、傍若無人になるな。他者の個性は認めろ。


要するに義務心を持っていない自由は本当の自由ではないと考えます。と云うものは、そうしたわがままな自由はけっして社会に存在し得ないからであります。よし存在してもすぐ他から排斥され踏み潰されるにきまっているからです。私はあなたがたが自由にあらん事を切望するものであります。同時にあなたがたが義務というものを納得せられん事を願ってやまないのであります。こういう意味において、私は個人主義だと公言して憚らないつもりです。

漱石はイギリスを引き合いに出しています。イギリスは子どものときから自分の自由を愛すると共に他者の自由も尊敬しなさいという社会的教育を受けていると言うのです。つまりイギリス人の自由の背後には義務という観念が伴っていると言います。例えばイギリスでデモが起きるときは政府が機能不全になるような迷惑な乱暴はしないと。
つまり自由に不自由するというのはある意味義務づけから逃れようとした結果の宙ぶらりんの状態であります。will,can,mustのmustを忘れがちじゃないですか、という主張だと思います。
まとめます。

自由勝手は構わないがキミはひとりで生きている訳ではない。他者との関り合いのことを忘れるな。



自由、個性の発揮は他者への配慮の上に成り立つのだ。


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