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一人でいるのはもう飽きた。

なんだか最近忙しい…。

仕事も忙しいけど、先週は毎日他人と飲んでいた…。

もはや自分の身体の半分は酒で出来ているのではないか?と思うレベルだ。

先週の木曜日、今制作している本の原稿を無理矢理送りつけてしまった、エディマンの原島さんと打ち合わせ兼ねて飲んでいた。

私は、たまに焦り過ぎて強引なときもあるけど、基本はあんまり他人を動かしてしまうのは好きじゃないというか、申し訳なさが募るタイプだ。

でも、最近それじゃ越えられない壁を感じて、もう少し他人を巻き込もうと思うようになった。

原島さんはもともと画家の武盾一郎さんの繋がりで、Twitterとかでたまにやりとりしていたり、この前の飲み会で結構しっかり話した感じだ。

原島さんはプロ中のプロの編集さんなので、そんな人に原稿を送り付けるなんて恐れ多いのだけど、あえてそういうことをしようと思った。

最近の自分は、自分の殻をどうにか破りたいなと思っていて、あえて今までの自分ではやらなかったことを積極的にするようにしている。

原島さんには原稿データを送りつけて「自信があるし、良いものにしたいから見て下さい!」と言った。

今までの自分なら言わない台詞だ。

最近少しハッタリも必要だなと思うようになったのだ。

原島さんとの打ち合わせは、本当にお願いして良かったと思った。

何より「編集者の目」はどういうものかを知ることが出来た。

原島さんはまず「写真の上に詩を重ねない方がいい。何か隠したいのかな?と思ってしまう。分けた方がスッキリする。」と言われた。

原島さんは、詩は詩で書いたものを出力していた。

これに関しては、もしかしたら原島さんの言うことは聞かないかもしれない(笑)。

自分でも印刷してみて、そっちがいいと思ったらそうしようと思う。

「主語に注目すると、最初は『私』から始まって、途中で『自分』になり、『君』が出てきて、『僕』になっていく。この主語が誰なのか明確にした方がいい。」

「ヒグチさん好きな詩人は誰?」

「詩人ではないですが、作家なら坂口安吾と村上春樹が好きです。あとはグレイプバイン というバンドの歌詞が好きです。」

「んー、なるほど。この詩はいつ書いたもの?」

「15年前くらいですね。ハタチ前後のものです。」

「あぁ、そうか〜。写真は?」

「今年、具合が悪い時期に散歩しているときに撮っていたものです。」

「それは時期をクレジットした方がいいね。」

「それはそのつもりでした。最後にまとめて書いた時期とタイトルをクレジットしようかと。詩は今になると拙い部分もあったので、修正もしたんですが、どこまで修正するべきかわからなくて…。当時の言葉で残すべきなのかなとか…。」

「それは直した方がいいね(キッパリ)。」

「…あ、そうなんですか。そうかー。」

「今の状態って、ヒグチさんの家に遊びに行って、コッソリ引き出しを開けて日記を覗いたみたいな感じ(笑)。」

「…あぁー。まぁ、わかります(笑)。」

「もう少し言葉を研ぎ澄ました方がいいね。好きな詩人を聞いたのはそれ。影響受けた人っているのかな?って。歌詞から入ったのってなるほどなって思ったよ。
ヒグチさんの詩はわかりやすいんだけど、わかりやすいことが、…どうなんだろうね?それがウケるかもわからないけど、ヒグチさんしか書けない言葉をもう少し考えた方がいい。でも、この詩は若い頃のものなんだもんね。」

「そうですね、直すかどうか迷っていたし、もう少し推敲してみます。」

「言葉ってすごく強いじゃない?普通だったら、絵で残したり、もっと曖昧なもので残すと思うんだけど、言葉で残そうというのは…結構怖いことだなと思う(笑)。ヒグチさんはすごい憎しみが強いね(笑)。」

「あははは、そうですね(笑)。」

「なんだろう、憎しんでいるけど、怒ってはいないんだよね。」

「最初の方の詩はいじめられていたときの記憶を書いてるんです。私、今まで怒りの認知が遅くて、怒ってるのがわからず、具合悪くなってましたね。」

「そうかー。途中から出てくる『君』は昔の彼のこと?」

「そうです。この本自体彼へのラブレターみたいなもんですかね(笑)。」

「もう、じゃあ、一冊刷って彼に贈りなよ(笑)!」

「あはははは、確かに(笑)!いやいや、そうなんですけど、自分の若い頃のことを清算したい気持ちもあって…。」

「なるほどね。」

「でも今教員やっていて、若い子に接するから、そういう子たちの救いになればいいのかなって。つらいじゃないですか?若い頃って。」

「若い頃ってつらいよね。」

「で、いつもなら、こんな風に原島さんに読んでもらったりするなんて、恐れ多くてしないんですけど(笑)、今回あえてやってみようかな?と。一人で作ることに限界ってあるじゃないですか?
限界というか、垢抜けなさみたいなのを自分にずっと感じていて。で、そこに他者を介入させると、自分とは違う視点を得られて、限界突破出来るんだな、というのを、ようやくここ数年実感したんですよね。」

「まぁ、一人でやってたらわからなくなるよね。俺もデザインとかは外に出すよ。」

「そうですよね。最近は私も一人で抱えず周りを巻き込むことを意識しています。」

なんの気もない会話だと思っていた。

原島さんは、いくつかの質問をしたけど、その瞬間はそれはあまり重要かわからなかった。

でも、帰り道に私はぐるぐる考えすぎて、言葉の地平に頭をぶつけて、痛くて仕方なかった、

私はやっとわかったのだ。自分が何を表現したいのか。

キーワードは‟他者”なのだ。

私が苦しんだこと、傷ついたことも他者であり、私が救われたのは‟昔の恋人”という他者なのだ。

私が彼に執着しているのは何かと言えば、彼に大きな恩恵があるからだ。

私にとって彼は光だった。

この写真は彼に似ている。

傷んだ先にひょっこり覗いた光のような彼に似ている。

彼は光であり、ちょっと前の私にとっての宗教だった。

そして、原島さんに今頼ったこと、それも光を求めているからだ。

光がすべていいことでもなくて、見たくないこと、受け入れられないことも晒す。

何度も原島さんは私の心の弱さを気遣って「これは批判じゃないんだけど…」と前置きした。

私の詩を、写真を見て、まずは私の心の弱さというか、苦しみとか、傷みとか、繊細でいじけて、ぐちゃぐちゃしていることは伝わっていた。

でも、私は少しだけ強くなったみたいで、その批判を聞くのが、ちょっと怖いけど楽しかった。

原島さんの目に映った私、私の表現を含めて、色々知りたかった。

それが作家の業なんだと思う。

批判を面白がれる余裕がやっと出たのだ。

その余裕に自分の成長を感じた。

そして私はやっと‟一人でいるのはもう飽きた”と思った。

混沌として、まるで毎日予測がつかない。

でも、それをつらいとも思わず、今は楽しいと思える。

他者から与えられたもの、良いことも悪かったことも、どっちもすべて「他者と触れる傷み」だったのだし、それを表現しようと思う。

それが「傷みの記憶」なのだと。

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