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この病院日記を付けて数回となるが、なんと病院が終わりそうなのである。

正確に言うと、病院自体は終わらないけど、カウンセリングが終わるようだ。

確かにここ何回かはいろいろ実生活は起きてるけど、とりわけ精神的に辛くて話さないと耐えられないことはなく、精神的にはブレなくなったんだなぁと思う。

ずっと「早く終わらないかな」「なんで終わらないのかな」と思っていたカウンセリングもあと一回と思うと少し寂しい。

だけどその寂しさに依存することもないのだろう。

体調が悪いときはずっと「どうしてカウンセリング続くのかな?私普通なのに」と思っていたし、病院の先生にも何度も「まだ続きますか?」と相談した。

病院の先生は「そうね、確かに症状は重くないわよ」と言っていた。

「重くないんだから、もういいんじゃないのかな?」と思って、間を空けてはぶり返していた。

「大丈夫じゃないの?」と思っていたのは、「大丈夫じゃなかったんだ」と思う。

私は双極性障害のようなテンションの上がり下がりがあって、実際ずっと双極性障害だと思っていた。

躁っぽくなると、「もう病院にかかる必要はないなぁ〜」と勝手に自己判断して、「しばらくは大丈夫だと思います!」と言っていたのだ。

そうしてその二〜三ヵ月後くらいに体調を悪くすることしばしばだった。

しかし、ここ最近のカウンセリングは、だんだん話すことがなくなっていた。

毎日何もない訳でもないし、いろいろなことは大なり小なり振ってくる。

でも、それについて「具合が悪くなるほど困っている」状態ではないのだ。

私はカウンセリングを、わりかしきちんと治療と考えてやっている患者だと思う。

それは心の底から治りたかったからだと思う。

だから、あまり雑談のような場所とは思って来なかった。

しかし、快くなってきた現在、わざわざ話すべきことはあまりなくなった。

自己解決も出来るし、カウンセラーの先生に話さなくても、他の人に相談したり、場合によっては適切な専門家に委ねることだって出来る。

混乱しなくなっているのだ。

だから、普通に雑談みたいになって来ていたり、報告しに来る感じだった。

カウンセラーの先生は「本当に変わりましたね。周りとちゃんとコンセンサスを取って、解決していて素晴らしいです」と言った。

私は「投薬したからですか?」と聞いたら、先生は「薬でそこまで変わりませんよ(笑)。」と笑った。

何が自分の中で変わったかよくわからない。

薬を飲んで、焦燥感みたいなものはなくなったのは確かだし、今まで縛られていた、常識とか世間体から解放されて今はのびのびしている。

先生も「ずっと合わない窮屈な服を着てましたね」と言っていた。

「最近出会う人々、仲良くなる人々も変わったように思います。みんな優しいというか、まともというか。」

自分が変わるとまわりの環境も変わっていくんだなぁとしみじみ思う。

「プライベートはどうですか?」

「最近出会う男性は、自分の知性みたいなことを気に入ってくれてる気がすることが多く、昔は…男性の前ではバカなフリをしたりしてましたが、最近はそういうことをしなくてもよくなりました。自然と知性的な人が集まっていて、ストレスが減りました。」

「ずっと男性より秀でてはいけないと思っていました。今思い出すと妬まれていたこともたくさんあったと思うし。でも、バカなフリをしてるのに男性好かれないことにストレスを溜めていました。そういうことから解放されて嬉しいし、知性を評価されることは嬉しいです。」

「セックスについてはどうですか?」

「セックスについては、男性のために我慢してやるもの、とどこかで思っていましたが、最近はそういう考えはなくなって、コミュニケーションの一つと考えるようになりましたし、そういうコミュニケーションとして、対等に向き合える人とだけやろうと考えるようになりました。」

「本当に、ヒグチさんは解放されましたね。では、次でカウンセリングは最後にしようかなと。」

「はい、ちょっと不安ですが(笑)。」

「また何かありましたら、すぐにいらしてください。」

主治医の治療は、ADHDは一生の付き合いなので終わらないだろうが、長らく続いたカウンセリングは終わるのだ。

はー、長いこと、よく頑張ったなーと思った。

カウンセリングはあまり効果がないと思う人もいるかもしれないけど…、私は良かったと思う。

カウンセリングをする前の私は、私を誤解しながら生きていたと思う。

もちろん本当の自分なんているかわからないけど、「窮屈じゃない、ストレスにならない自分」というのは確実にあるものだ。

私は今まで自分のことを、暗くて、執着が強く、ドロドロし、不真面目で、だらしなく、感情的な人間のような気がしていた。

今は、随分と、それなりに明るくて、ドライで、あっさりしていて、生真面目で、だらしなさは…ADHDのせいで至らぬことはあるけど、そのことについて繊細に考えていると思うし、わりと冷静な人だなぁと思うようになった。

自分の作品はいかにも自分の性質を表していたのに、私は自分がそんな人間じゃないと思っていた。

最近は自分の作品は、やっぱり自分だなと思うようになった。

病院日記もあと一回なはず。

でも、また悪くなって行くことになるかもしれないし、行くことになったらなったで、またnoteに書くことが出来ると考えようと思う。

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