中村修治(人妻研究家)

1962年近江の地で生まれる。1986年に立命館大学を卒業。1994年に㈲ペーパーカン…

中村修治(人妻研究家)

1962年近江の地で生まれる。1986年に立命館大学を卒業。1994年に㈲ペーパーカンパニーを設立し独立。福岡に企画会社など存在もしなかったころから25年も最前線で生きているプランナー。企画書を書いた量とプレゼン回数は、九州No.1だと言われている。

マガジン

  • 日々、金継ぎ。

    「金継ぎ」は、きんつぎと読む。修復された痕を遺し、それを景色と見立ててしまうところが滋味深い。人のココロは、完全に修復されたりはしない。傷やひびを修復しながら生きている。 日々、金継ぎ。 徒然に、金継ぎである。

最近の記事

シン魚類File3.「みんなに投げキス」

    • シン魚類File2.「婚カツオ」

      • シン魚類File1.「カレイなるスター」

        • サブカルと広告業界と東京五輪開幕と…

          “ルサンチマン”という言葉がある。恨みの念のこと。ニーチェは、強者に対し仕返しを欲して鬱結した弱者の心だと表現している。 東京五輪の開幕式典が直前までゴタゴタしている。椎名林檎や野村萬斎が率いた制作チームは、コロナ禍の中で、D通さんの仕切るチームへと移行した。そこで集められた人材は、小山田圭吾にしろ、小林賢太郎にしろ、いわゆるメインカルチャーではなくサブカルチャーの逸材たち。アラカンのワタシも、その筋の流行には遅れまいとベンチマークしてきた人たち。そんな愛した人間たちが、今

        シン魚類File3.「みんなに投げキス」

        マガジン

        • 日々、金継ぎ。
          3本
          ¥100

        記事

          やむなく多目的トイレを使うときには!?

          アンジャッシュの渡部建は、トイレ不倫で堕ちた。 カリスマ編集者の箕輪厚介は、セクハラで炎上した。 この2人の共通点って何だろう!? おもしろいけど、なんかうっすいのである。 その原因は「多目的」であるからだ。 渡部建は、芸人でありながら、グルメや高校野球や、その裾野を広げてポジションを築いた。戦略としては、間違っていない。その努力も素晴らしい。しかし、如何せん、自分ではやっていない。評論である。上手に言うことで食っている。中間搾取的な「卑しさ」が、そこにはつきまとう。

          やむなく多目的トイレを使うときには!?

          愛は地球を救わない!!!

          「愛は地球を救う」この大雑把な物言いが嫌いである。何故!?そんな簡単にみんな泣くのだ!?涙目で走って、なんか救えたか!?あいもかわらず障害者を健常者が消費している「24時間テレビ」のスタンスが受け入れられない。安っぽい感動の押し売りを続けるのだけは、再考いただきたい。障害をお持ちの方々は、他者を感動させるためのネタではない。 プロ野球の世界では、100回打席に立ってヒットを30本打つか?25本にとどまるか?たったの5本。この差が一流か二流かを分ける。プロ野球選手は、この5本

          愛は地球を救わない!!!

          初雪カズラ。

          われや先、ひとや先、今日ともしらず、明日ともしらず、遅れ先立つ人は、元のしずく、すえの露よりもしげしといえり。されば朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり。 ハタチを過ぎたあたりだったかな・・・。京都に住む学生のワタシは、はじめて親父に誘われて飲みに行った。あれが最初で最後の親父とのサシでの時間。親父が常連となっているらしい小料理屋に入った。これといった会話もなく、女将にすすめられるがまま酒の肴を冷めたお茶で胃袋に流し込んだ。気の利いた話なんて何もない。できるわけもな

          おもしろいって、なに!?

          「発露」という言葉がある。分娩時、赤ちゃんの頭が腟から見えたまま。もう引っ込めることはできない!!!もうすぐお誕生!!もうなんだかドキドキやんけ!!!状態のことである。そこから、心の中にあるものや隠していたことがおもてに現れ出ること。また、現し出すことを意味するようになる。 おもしろいとは!?と問われたら、この「発露」があるかどうか!?なのではないかなぁ。。。躊躇するも何も!?もう引っ込めることができないのである。言っちゃうし。やっちゃうし。書いちゃうし。なんかその、勇気や

          おもしろいって、なに!?

          『糸井さん的なるぼくら』の終焉。

          未来の見え方が変わると、過去の見方まで変わる。昨日まで納得できていたものが、今日になるとウザいものになってしまう。そういう現象がいろんなところで起こっているのが、このコロナショックである。 東日本大震災の時に、もう新聞の購読を止めるね!?と言い出したカミさんが、昨日、ボソッとつぶやいた。”最近の「ほぼ日」がウザい”と。32年くらい前の宣伝会議のコピーライター養成講座で知り合った糸井重里信者でもある、あのカミさんが、ウザいと。 薄々、感じてはいたのだ。いや、それを言い出すと

          『糸井さん的なるぼくら』の終焉。

          ひとつだけ。

          若い社員の酒席に、 「私は愛されているから大丈夫」と、 突然、黙ってやってくる上司は、 悪気がないだけに、もう対処のしようがない。 ・・・みたいな四流の状況にある。 問題起こってない?なんて聞く上司は、三流である。 大丈夫?って尋ねてくる上司は、二流である。 気になるところある?ってさりげない上司が、一流である。 まぁ、どうでもいいけど・・・ひとつだけ。 今週もちゃんと"うちで踊ろう"。

          ひとりになれきれなさに……。

          FBで繋がって、大勢集まって、ニコニコするのは、いかがなものかと思う。その集合写真のタグ付けが、その後の人生の良薬になるとは、ワタシには、思えない。 ソーシャル≒社会が、そういうものだと言えばそうだけど・・・そうじゃないだろう!!!と疑問を抱くことが思考というものじゃないかと思うわけである。 ひとりでいるのが怖くなるようなたくさんの友達は要らない。ひとりでいても怖くないと思わせてくれる何かと出会うことがソーシャルメディアの本来の役割である。社会の中で生きていくとは、そうい

          ひとりになれきれなさに……。

          ビックリするくらい「丸ごと」な社会。

          外出自粛。次女が遺して行った部屋で仕事をしている。おかげで時間がたっぷり出来た。ちょいと今回の新型コロナウィルスの騒動で感じたことを綴って行こうと思う。ワタシは、科学者でも、経済学者でも、なんでもない。残念ながら何も解決できない。この非常事態の中で、もはや書くしか能がない。すまん。 今から思えば、どんな大きな震災も、やっぱり他人事だった。自分の言葉で語れるのは、福岡西方沖地震くらい。リーマンショックなんて、実体経済の現場を奔走する一介のプランナーにとっては、まったくの余所事

          ビックリするくらい「丸ごと」な社会。

          アミダくじという民主主義。

          昨日の午前中は、マンションの総会だった。今回の大きな議題は、マンション内から町内会長を出さなきゃいけないってこと。当然、誰もやりたくない。投票ってすると、いろいろとややこしいことが起こる。怖い。決められない。 結局、アミダくじで決めることになった。ハズレが町内会長。日本の各地の自治体が有名無実になっていく現状は、こんなとこにある。 最後は、アミダくじになる民主主義。「決める」ということは、マンション内の民主主義にとって最後にやってくる最悪のチョイス。「決めない」という方向

          アミダくじという民主主義。

          バカよけのまわりに、バカが集まる。

          “ウチの親なんて角栄が首相になった時に「この人は小学校しか出とらんのに偉い」つってたのがロッキード事件の時には「やっぱりおえんな、ドカタは」。それから何年かして徹子の部屋スペシャルに出てるの観て「やっぱり苦労人じゃな、大した人」ってな。定見まるで無し。大衆なんてこんなもんだよ。” マッキーが覚醒剤所持の疑いで2回目の逮捕。また、メディアや大衆が騒ぎ出している。「世界にひとつだけの花♫」に涙した時の感動を返せと騒ぐ。裏切られたと宣う。持ち上げたり、堕としたり、バカじゃねぇのか

          バカよけのまわりに、バカが集まる。

          不思議で、不思議で・・・。

          「光ってたから」という理由で瓶ビールの王冠を集めたりする。「白かったから」という理由で、砂をポケットいっぱいに入れて持ち帰る。 生きているって不思議である。 みんな同じに、生きている理由がない。 自分が完全に死ぬという経験をした人間は生きていない。自分の死は、誰も体験できていないのに、他者の死から自分が居なくなったときのことを考えるって、死ぬのもこれまた簡単じゃないわけである。 もうこんなに不思議な日常を平気で生きているのが人間なのである。なぜ死ねないのかというと、何も

          不思議で、不思議で・・・。

          他人様を信じて頼る勇気みたいなこと。

          ワタシにはムスメが2人いる。長女のときかけていた労力を次女にはかけていない。記念に撮った写真の点数も雲泥の差である。でも次女は、ちゃんと育っている。大学3年生で独り暮らしを実行している。 ワタシに3人目の子どもが居たとしたら、、、完全にほったらかしていたと思う。 ひとは、3人の子どもを持って、やっと親になる。乳房が足らなかったら誰かにお願いする。父母で助けられないなら他人に頼る。 我が子には、一刻も早く、他者と関わることのメリットを教えて、独りでもなんとかなると思わせる

          他人様を信じて頼る勇気みたいなこと。