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ひとりになれきれなさに……。
FBで繋がって、大勢集まって、ニコニコするのは、いかがなものかと思う。その集合写真のタグ付けが、その後の人生の良薬になるとは、ワタシには、思えない。
ソーシャル≒社会が、そういうものだと言えばそうだけど・・・そうじゃないだろう!!!と疑問を抱くことが思考というものじゃないかと思うわけである。
ひとりでいるのが怖くなるようなたくさんの友達は要らない。ひとりでいても怖くないと思わせてくれる何かと出
アミダくじという民主主義。
昨日の午前中は、マンションの総会だった。今回の大きな議題は、マンション内から町内会長を出さなきゃいけないってこと。当然、誰もやりたくない。投票ってすると、いろいろとややこしいことが起こる。怖い。決められない。
結局、アミダくじで決めることになった。ハズレが町内会長。日本の各地の自治体が有名無実になっていく現状は、こんなとこにある。
最後は、アミダくじになる民主主義。「決める」ということは、マン
バカよけのまわりに、バカが集まる。
“ウチの親なんて角栄が首相になった時に「この人は小学校しか出とらんのに偉い」つってたのがロッキード事件の時には「やっぱりおえんな、ドカタは」。それから何年かして徹子の部屋スペシャルに出てるの観て「やっぱり苦労人じゃな、大した人」ってな。定見まるで無し。大衆なんてこんなもんだよ。”
マッキーが覚醒剤所持の疑いで2回目の逮捕。また、メディアや大衆が騒ぎ出している。「世界にひとつだけの花♫」に涙した時
不思議で、不思議で・・・。
「光ってたから」という理由で瓶ビールの王冠を集めたりする。「白かったから」という理由で、砂をポケットいっぱいに入れて持ち帰る。
生きているって不思議である。
みんな同じに、生きている理由がない。
自分が完全に死ぬという経験をした人間は生きていない。自分の死は、誰も体験できていないのに、他者の死から自分が居なくなったときのことを考えるって、死ぬのもこれまた簡単じゃないわけである。
もうこんなに
他人様を信じて頼る勇気みたいなこと。
ワタシにはムスメが2人いる。長女のときかけていた労力を次女にはかけていない。記念に撮った写真の点数も雲泥の差である。でも次女は、ちゃんと育っている。大学3年生で独り暮らしを実行している。
ワタシに3人目の子どもが居たとしたら、、、完全にほったらかしていたと思う。
ひとは、3人の子どもを持って、やっと親になる。乳房が足らなかったら誰かにお願いする。父母で助けられないなら他人に頼る。
我が子には