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出来ないのはカラダのせいかも。

野口整体を学んでいた母も

そして私も活元運動が出たことがありません。

そんな相談をもらった。

活元運動をやってみたけれど運動が出なかった。

しかも長らく出なかったという経験があると

活元運動に対して憧れを持ったり、神聖視してしまう人がいる。


けれども活元運動はいのちを運営している無意識運動の訓練。

活元運動が出ていないとおっしゃっている人のいのちだって

生きている限り、一瞬たりとも止まらずに無意識運動によって運営されている。


だから、めちゃくちゃ普通のことなんです。

生きてる=活元運動

とも言えちゃうわけ。


野口晴哉先生は「根性が悪い人は活元運動は出ません。」

なんておっしゃっているけれど

要は頭がポカーンとできない人

脳内がザワザワしている人は確かに出にくい。


実際に相談されてきた人のカラダを観察してみると

みぞおちが硬くなっていて、首も硬直していた。

こうなると頭の中はポカーンとならない。

まずは大脳緊張を緩めたり、首の硬直を緩めてから

向き合うことをお勧めします。

こういう人がカラダを整えずに活元運動や坐禅をすると

一生を無駄にしてしまう可能性があるからね。


カラダに要因がある場合

意識でどんなに頑張ったって解消できない。

むかし古武術を学んでいる友人がどうしても刃筋がまっすぐにならないと悩んでいた。

ところがその友人の腰椎1番は硬くて可動性がなかった。

腕の挙上動作を司っているのが腰椎1番なので

腰椎1番の動きが悪ければ

残念ながら一生努力しても剣はまっすぐに走らない。


どうしてもぼくらは怪我や病気じゃなければ

「わたし」はいつだって同じだと思ってる。

目という窓から世界を見ている意識が「わたし」だからね。

ところが「わたし」の感受性はもろにカラダの影響を受けている。

腎臓がくたびれれば陰気になるし

肝臓がくたびれれば怒りっぽくなるし

みぞおちが硬くなれば頭の中に静けさはない。


「わたし」は変わっていないと思っても

カラダは日々、環境や疲労によって変わっている。

どうしても習得できない動作や技術がある場合

やり方に原因があるんじゃなくって、カラダに原因があることがある。

「わたし」は正常だと思っていても、カラダが異常なことがある。

ある時を境に気分が変わってしまった、性格が変わってしまったって場合は

そのある時を境にカラダが変わってしまっている。

カラダを忘れないでくださいね。

見過ごされがちな視点なり。



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