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「たのしむ」ことがよくわからない

 わたしはよく本を読む。多いときには一日に三冊読むこともある。それなのに、わたしは今朝はじめて「読書ってこういうことなのかも」という体験をした。いつ、どこから読んでもたのしい吉本ばななの『王国』のページをめくりながらそんなことを考えていた。

 わたしのホロスコープでは5ハウスに月があり、マドモアゼル愛さんの月欠損の理論で言えば「たのしむこと」がよくわからない。妹たちがゲームであそんでいても、友だちが面白いことを考えても、コンサートに行っても、わたしは果たしてみんなと同じようにたのしむことができているのだろうか?と思ってしまう。子どもの頃はすぐにおもちゃに飽きてしまって、日々がつまらないことがいらだたしかった。わたしにとっての「あそぶ」とか「たのしむ」は、みんなと同じなのだろうかと心配だった。そして、おそらくそれはちがうのだと薄々気が付いていた。

 本を読むことを純粋なたのしみにしている人たちがいる。美しい言葉に触れて心がワクワクとし、ストーリーを追うのとはちがう魅力を知っている人たち。わたし自身ももちろんそういう気分になることはある。しかし、今朝読書を本当にたのしむという体験をするまでは、わたしには今までその瞬間がなかったのだということがわかった。

 今朝、『王国』を読みながらわたしはとてもたのしんでいるという実感があった。言葉を読むことが嬉しい。栄養が体に流れ込んでくる。ただ文字を追うことが気持ちいい。どんどん元気になっていく。そして、日頃のわたしは、深読みをしすぎていると思った。もしくは、自分自身の記憶や解釈に結びつけながら読んでいる。だからこそそれができない詩を読むことが好きだったのかもしれない。要は頭だけで本を読んでいたということだ。本来は、体全体で本を読むことができるのだ。唐突にこんな体験をしたのは、わたしが半年ほど前から音読をはじめたからだと思う。目だけで黙読するのではなく、できる時にはなるべく声に出して読むことにした。そうすると全身で本を読むことができる。特に詩の場合は、音読することで全く感じ方が変わった。不思議と意味を理解することが増えた。

 そんなことを積み重ねて、とうとうわたしは念願の「読書をたのしむ」体験をした。考えすぎないことだ。書いてあることをそのまま受け取ることだ。それができて初めて、深い意味を理解することができるのだと思う。一生懸命考えることと、考えすぎることはちがう。一生懸命考えるのは、一見ぽかんとして、自分の思考をはさまずにその文章と向き合うことなのだと思う。頭を使って、自分だけの世界に物事を閉じ込めるのはもったいないことだ。世界を、他人を信頼して、ぽかんとすべて受け取ってみる。そんなギフトを手にした日曜日の朝だった。

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