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子育てをすると傷つく大人

今回は「一般精神病棟で診る~児童思春期患者の現状と課題~」という演目でこころとそだちのクリニックむすびめ田中康雄先生のお話を聞いてきた大まかな内容と感想を綴ります。

 私たち福祉関係、医療関係、教育関係のお仕事についている職員は社会に対し 自分たちの現状を話す機会や改善する機会を設けられにくくあります。なぜかと言うと、利用者や患者の個人情報を守るためでもあります。他にも自分たちが発した困り感が、利用者や患者を不安にさせるケースもあるためです。

 子どもたちの困り感を聞いて胸が苦しくなったり、自分だったらどうしてあげられるだろう、福祉施設•教育機関•医療施設としてどうあるべきなのだろうかと日々考え、模索するだけでは収まりません。
 自分の人生を振り返ったり、自分の子ども時代はどんな風に関わってもらっていたか等、周りの人・環境を改めて 客観的にとらえる機会になります。そうすると 自分の現状に落ち込んだり、昔こんな寂しい・悔しい思いしたなと思い出し、仕事から離れてもその考えに囚われてしまうことがよくあります。

これは仕事を通して子どもと関わっている人に限らず、保護者・里親たちも同じ体験があるようです。

 自分(親)が幼少期に 親からどう関わってもらっていたかを思い出し、真似しますが、上手くいかずに自分が親としてダメだからなのかなと思うことに繋がってしまう方が多いようです。それは、過去の振り返りや現状への落胆なのでは?と康雄先生もおっしゃっていました。

 私たちも、子どもたちがうまく行動できないのは職員がちゃんと配慮を出来ていないからなのでは?と落ち込んでしまう日もあります。

それでもお母さん業や福祉業は「いつも元気に明るい大人」でいなければならず、落ち込みが続くと心が疲れてしまいますよね。

康雄先生は

「うまくいかなくて当たり前」という程度でいいです。
丁寧=よい関わり ではありません。
そっとしておくことが大事だったりする時もある。
強い指導や感情的な介入は「迫害・被害的」な体験を持ちやすくなる。

と話していました。

 特に保護者の場合は自分の悪い所を直すように子どもを叱ることがあり、感情的になりやすいそうです。これも養育者(親・教師等)と子どもが似ている特性を持っているからこそ衝突してしまうそうです。

 また、泣くことに対して嫌悪感を抱く方が多いですが「ちゃんと泣ける子」は悪いことではありません。子どもの中でも心では泣いていてもピエロのように表情では笑う子もいる。そんな子は精神的な疾患を負いやすいそうです。

 現状として「子ども」・「親」という定義が完璧さを求められるようになっていて生きづらさを感じている方が多いそうです。

「子どもだから、みんなと仲良く遊ばせなきゃ」
「親だから私が叱ってあげなきゃ」等と
柔軟な考えが出来ないようになる「時代」なのか「地域」なのか、一つの原因ではなさそうです。

その中でも忘れてしまいがちな「今ある子ども自身を、親である自分を受け入れること」が出来るように「心がけること」が大事

だそうです。
出来るように「する」のではなく、出来るように「心がける」くらいがちょうどよいと康雄先生もおっしゃっていました。

 理想よりも現実を見て、限度を高く設けずに出来ることで勝負する自分になること!
言葉では簡単ですがそれが難しいんですけどねともおっしゃっていました。

医師の自分でもグズグズするくらいですからと康雄先生には医師としてだけではなく、人として生きるアドバイスを毎回感じて帰ってきます。

どうか、養育者も完璧を自分や子どもにも求めずにいてほしいなと思えました。

養育者自身のコンプレックスが子へ執着と悲しい事件を生んだようです。
家庭支援は本当に今、求められています。
子育てをすることで、自分を振り返り、傷つき、うまく接することが出来なくなるときがあります。
助けを求められない人も、求められない子もいます。
優しいまなざしを向けて、手を差し伸べたいものです。

お掃除係の実習を体験した保育士さん、きちんとした指導・教育を受けられずも頑張る支援者さん…など現場に困り感を持っている方へサポートすることで、子どもたちに還元されるものがあるのではと信じています。よろしくお願いします。