【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 前編 6
間人大王は、頭を抱えてしばらく動かない。
「大王様、如何なされましたか? お加減でも悪いのですか?」
采女(うねめ)は、間人大王の傍らに近寄り、不安そうな顔を向けている。
「いえ、大丈夫……」
「お部屋に戻りましょうか?」
「いいのよ、このままで、大海人(おおあま)が来るはずだから」
間人大王の言葉どおり、中臣国足連(なかとみのくにたりのむらじ)が大海人皇子の参上を告げた。
「兄上が来ていましたか?」
大殿に入って来た大海人皇子は、相変わらず暢気そうだ。
彼は、いつも飄々としている ―― どんな事態に直面しても、如何にかなるさというのが彼の人生哲学である ―― それが親しみ易さを生むのか、彼の周囲には、常に人の輪があった。
間人大王は、そんな大海人皇子のことが、小さな頃から羨ましかった。
「ええ、ちょっとね」
「百済支援の件ですか?」
「まあ、そうですが……」
「そうですか。で、何の用でしょう? 姉上から呼び出しなんて」
大海人皇子は、人好きする笑顔を見せた。
「白江での我が軍の件は知っていますね? いま、内臣(うちのおみ)や蘇我臣たちがその件の処理に忙殺せれています。宮内からは二人の責任追及の声が上がっていますし、良民を派出した近畿・西国の豪族たちからも中央に対する不満の声が大きくなっています。このまま放っておけば、動乱の根源になりかねません。ただでさえ、唐・新羅の侵略を警戒しなければならないのに、国内で不穏な動きがあれば、足下を掬われかねません。それに、この度の一件は、例え中大兄に指揮権があったと言っても、私も大王としての責任は逃れられないと考えています」
「まあ、そうでしょうな」
大海人皇子は、さも当然のように頷く。
しかし、特別に含むところがある訳ではない。
「この事態を速やかに収拾させ、国内を一つに纏める必要があります。そこで私が考えたのは、百済支援に尽力した将軍や豪族、良民に対して、論功行賞を以って当るということです。ところが、現在の冠位は十九階で、とても全部に渡るだけの数もありません。そこで、冠位の数をさらに増やし、将兵や豪族に行き渡るようにしたいのです」
「はあ、そうですか」
大海人皇子は気のない返事だ。
「はあ、そうですかって、分かっているのですか? これは、あなたがやるのですよ」
「はあ……、はあ?」
大海人皇子は目を瞬かせた。
「あなたに、冠位の改正案を出してもらいたいのです」
間人大王の目は本気だ。
「ご冗談を? そういったことは、兄上の仕事でしょう? 兄上に言ってくださいよ」
「あの人が、人の意見を聞く人ですか?」
確かに、と大海人皇子は頷いた。
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