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【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その三 おりつの一件始末 11

 大雪のあとに、急に日が照りだし、あれほど積もっていた雪があっという間に消え去り、点々と水溜りが残った道の中を母親のおくまとともにやってきた。

 甚左衛門は、太い眉に彫りの深い顔立ち、身体も大きく、がっしりとしていて、至極頼もしい男に見えた。が、これが驚くほど大人しい。こちらの問いかけに、ぼそり、ぼそりと蚊が鳴くような声で答えるだけで、あとはどこを見ているのかも定かでないように、ぼんやと視線を落としていた。

 一方のおくまは、これが如何にも気の強そうな女で、年の割りにきりっとした目元に、ぐっと盛り上がった鼻、唇は薄く、口の端が下へとさがって、頑固が顔に出ている。身体は細く、小さいのだが、しゃんと伸ばした背筋から、女の芯の強さが伺いとれた。

 これは相当厄介そうだと、惣太郎は調べを始める前からどっと疲れた。

 調所には他に、勝五郎と伝兵衛、そして隣村の名主伊之助が立ち会った。清次郎は、惣太郎の後ろに控える。惣太郎が迷えば、すぐさま清次郎が助けるというわけだが、基本は惣太郎ひとりで調べを行うよう、事前に言われた。

 一通りの事を訊いた後、惣太郎は甚左衛門に離縁の意思があるかないか尋ねた。

 甚左衛門の口は開いたが、何を言ったのか分からず、再び問うた。

 するとおくまが、はっきりと答えた。

「ないそうです」

「そうですか。では、あなたはどうですか。甚左衛門とおりつの離縁について、どう思っているのですか」

「あたしは良いと思ってますよ。子どもの生めない女なんか、飯炊きぐらいにしか役に立たないんだし。金さえ払ってもらえば、いますぐでも縁を切りますよ。」

 おくまは縁切りを望んでいるようだ。

 隘路になっているのが、金と息子だが、息子の様子からして、なるほど母親に頭が上がらないようだから、強く諭せば折れるだろう。

 こちらとしては、金の点を処理できれば良いわけだ。

 惣太郎は、金の件を中心に、おくまと話し合うことにした。

「そちらとしては、お金さえ払えば、離縁してもいいということですよね」

「そうです」

「確かに、嫁入りのときの証文もあるし、趣意金も頷けます。しかし、おりつが嫁にきてから使った金もって、それは幾らなんでもやりすぎでしょう」

「そんなことありませんよ。何の役にも立たなかったなんだから、それまでの飯代や着物代を払うのは当然じゃありませんか」

「何も役に立たなかったって……、おりつは良く家の仕事をしていたでしょう」

「そんなのも、どこの嫁でもやりますよ。でも、嫁の仕事はそれだけじゃないんですよ。一番大切な仕事があるんです」

 何かと問えば、

「跡取りを生むことですよ」

 矢張りそれである。

「跡取りを生めない女はなんて、使い物になりませんよ。そればかりか、女子も生めないなんて、全く碌でもない女だよ」

 棘のある言い方に、惣太郎は聊か腹が立った。同じ女として、その言い方はどうであろうか。

 見ると、部屋の後ろに控えているおりつの父が、膝の上に置いた両手をぐっと握り締め、ぷるぷると震えている。自分の娘を役立たずなどと罵られて、怒っているのだろう。当然といえば、当然だ。

 惣太郎は、ふっと深呼吸する。

 落ち着け。こういう場合は冷静に話そう。でないと、また失敗する。

「確かに、跡取りは大切です。自分の血を引いた者に跡を継がせたいという思いも分かります。ですが、生めないものはしょうがないではないですか。子というのは、天からの授かりものと言うではないですか。それをおりつに責めても仕方がないでしょう」

「天からの授かりものなら、あの女はきっと前世で酷く悪いことをしたんですよ」

「あまり、そういうことを言わないように」

 と、惣太郎は注意した。

 勝五郎のつるつる頭に、太い血管が浮かんでいる。これは、相当頭にきているようだ。

「あなたも女でしょう。おりつだって辛い立場なんですから」

「辛いのはこっちですよ、お役人さま。近所の女どもは、あの家の嫁は子が生めない、あれはきっと家に何かが祟っているからに違いないとか、なんとか噂しやがって。あたしゃ、悔しいったらありゃしないんですよ。全部、あの厄病神のせいですよ。本当はね、あたしは別の娘が良いって言ったんですよ、その子は気立ても良くて、器量もいい、たくさんの子どもを生めそうな腰つきだったんです。それをこの子が、おりつがいい、おりつでなければ死ぬなんて我侭を言うから、仕方なく嫁にもらってやったんですよ。そしたら案の定、飯も上手く炊けない、洗い物もまともにできない、何をやらせも駄目、まあ、それでも子どもでも生めばと思ってたら、これが木偶の坊じゃありませんか。あたしだって、女ですから、そりゃ、子を生めない苦しみは分かりますよ。この子を生むまで、そりゃ母から、早く早くと急かされ、息苦しい思いをしたものです。でも、耐えてきたんですよ。むかしの女は、それが当たり前だったんです。それが、こちらの仕打ちが辛いから家を飛び出し、挙句に縁を切ってくれなんて、よく言えたものです。あたしなら、恥ずかしくて言えませんよ。しかも、金はなしにしてくれなんて。あたしはね、何もふっかけてるわけじゃありませんよ。きちんと正統な金を要求しているだけですよ。それなのに、あの女ときたら、恩知らずにも程がある。ふざけるなって言いたいんですよ」

 そこまでおくまが捲し上げると、それまで堪えていた勝五郎の怒りが爆発した。

「ふざけるなはこっちだ! 黙って聞いてりゃ言いたいことべらべらとぬかしやがって」

 勝五郎は勇んで立ち上がり、怒鳴りあげる。いまにもおくまに飛び掛りそうなのを、伝兵衛と伊之助が必死で止めている。

「使い物にならねぇとはなんだ! 木偶の坊とはなんだ! てめぇのがきが木偶の坊なんだろうが! 役に立たねぇ棒を持ってやがるんだろうが!」

「何ですって! この禿げ親父!」

「禿げ親父とはなんだ、この糞婆!」

「糞婆ですって、てめぇ、なんだその言い草は。人に役立たずの女を押しつけといてなんだ!」

「うるせぇ、てめぇのがきとは縁切りだ!」

「だったら、金返せ!」

「ああ、返してやらぁ。おりつの妹たちを女郎屋に売り飛ばして、五十両でも、百両でも返してやら!」

 ふたりの迫力ある言い争いに、惣太郎はどうすればいいのか分からず、ただ呆然と見ていた。

 それを止めたのが、清次郎である。

「止めんか、ふたりとも! お調べの最中であるぞ」

 一刀両断にするが如く鋭い声を上げ、両人を睨みつけると、ふたりは塩をまかれた蛞蝓(かつゆ)のように、急に身を縮めて大人しくなった。

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