東慶寺

鎌倉あじさい散歩 たどりついたのは縁切り寺 東慶寺 19.06.13 15:19

明月院を出て、横須賀線沿いに県道横浜鎌倉線を歩いて、たどり着いたのは縁切り寺。

東慶寺は臨済宗円覚寺派の寺院。江戸時代縁切り寺だったことは大御所フォークシンガーの歌でも有名。
ある時期まで尼寺であった東慶寺は花の寺としても有名。北鎌倉の谷戸に深く深くと境内が広がるので、四季を通じて花を楽しむことができます。

当然今は紫陽花なのだけれども、この時期本堂裏ではイワガラミの特別拝観中。
一歩の鶴から

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お地蔵さんに微笑がえし

連休2日目の昨日は、3ヶ月ぶりの北鎌倉。いつものコースをゆっくりと散策した。

北鎌倉駅〜円覚寺〜東慶寺〜浄智寺〜明月院〜北鎌倉駅

いい天気だったね。陽の光、森林・竹林の静寂、鳥の鳴き声。北鎌倉の恵まれた自然の中で数時間を過ごした。ハードワークが続いた4月の終わりのリフレッシュ。(2019/4/28)

【円覚寺】

北鎌倉駅で下りたらまずは、円覚寺。いつも笑顔のお地蔵様。陽光を浴びながら微

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敷居の低い着物の会とか楽しそう(日記)

一日一投・・・・なんて思っていたときもありました。三日坊主モノグサ女子のモノです。(開き直った!)
神奈川の湘南の方に住んでいるもので、鎌倉とか結構近い感覚。なもんで、着物好きの友人と和服でゆる散歩でした。

数年前に着物の講師の資格をとったこともあって、わたしは自前。レンタルするのもったいないしね。疲れるけど。んで、友人は着付けは習ったことあるけど持っていないからレンタル。

レンタル着物のいい

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わたしもスキです!
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閑窓随筆 ~『縁切寺御始末書』が終わって……

いつの世も、男女の問題はあるもので、縁切り寺はその問題の中でも一番厄介な離婚を扱いました。

 縁切り寺というと、鎌倉の東慶寺が有名ですが、群馬県の満徳寺も、幕府公認の駆け込み寺でした。

 とはいうものの、この2つのお寺でしか夫婦の縁を切ることができないわけではありません。

 元来、お寺は僧侶の修行の場でありながら、いつの頃からか俗世の人間の避難場所にもなっていました。

 問題を起こした侍や

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山田く~ん、この人に座布団1枚!
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【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 深厚之宿縁浅薄之事不有私 (完)

おはまの遠島の日が来た。

 惣太郎は、父母と連れ立ち、見送りに行った。

 舟は、永代橋の桟橋から出る。牢を据えつけただけの簡素な舟である。船尾に、白木綿の幟が立てられ、ひがらなで〝るにんせん〟と書かれている。

 本多源五郎の特別な計らいにより、おはまと直接会うことができた。

 もうひとつの特別な計らいがあった。

 おはまの想い人文吉であるが、おはまとともに遠島、しかも同じ島となった。

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Special Thanks!!
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【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その四 おみねの一件始末 14(落着)

銀蔵は、清次郎と郷役たちにびっしりと締めあげられた。そして白状したのが、おみねの大家、組頭と名乗っていた権兵衛と七郎も、政吉一味の仲間だということである。

 すぐに宿へ捕り物に行くと、ふたりは逃げるどころか、よっぽど酒が好きならしい、ぐてんぐてんになって寝ていたところを、お縄にかけられた。

 ことの顛末はこうである。

 金十郎から、生みの母親の居場所を聞いたおみねこと、おゆりは、政吉にどうに

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お後が宜しいようで!
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【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その四 おみねの一件始末 13

満徳寺に着いたのは、翌日の昼前だった。

 花畑を耕していた嘉平や女たちが驚くのを尻目に、役場へと飛び込んだ。

 宋左衛門は、文机に向かって書状を読んでいた。

 汗まみれ、埃まみれの男が駆け込んできたので、宋左衛門は呆然としていた。

「どうした、惣太郎、お前、江戸ではなかったのか」

 惣太郎は、荒れる息を必死で押さえ訊いた。

「父上、はぁ……、はぁ……、母上と姉上、いえ、おみねはどこです

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かたじけないm(_ _)m
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【歴史・時代小説】『縁切寺御始末書』 その四 おみねの一件始末 12

「ええ、それなら頂きました」

 と、吉兵衛は怪訝そうな顔をして答えた、ふさふさの眉毛まで真っ白な、60を越えてそうな爺さんである。加賀屋の手代の証言とはだいぶ違う。

「あの……、それが何か?」

「いや、大したことではないんですが……」、人違いかと思いながらも、尋ねてみた、「ところで、その扇子はどうされました。いまも持ってらっしゃりますか」

「それなら、手代の金十郎にやりましたが」

「金十

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Special Thanks!!
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