【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第四章「白村江は朱に染まる」 前編 4
20歳になった朴市秦田来津は、その武術の才能を買われて中央で働くこととなった。
根が真面目な彼は、与えられた仕事を一生懸命に熟した。
だが、田来津のような人間は、権謀蔓延る政治や官僚の世界では出世しないのが世の常である。
また、秦氏の傍系で、年若い彼が重要な役職に就けるはずもなく、飛鳥の群臣の中でも下っ端止まりであった。
そんな田来津の人生が変わる時がやって来る。
改新政府から、吉野の寺に下る古人皇子(ふるひとのみこ)を護衛せよという命令が下ったのだ。
古人皇子の護衛官として選任されたのは、物部朴井椎子連(もののべのえのいのしひのむらじ)・吉備笠垂臣(きびのかさのしだるのおみ)・倭漢文麻呂直(やまとのあやのふみのまろのあたい)、そして田来津の4人であったが、護衛官というのは名目だけで、本当のところは古人皇子の監視役であった。
田来津は、護衛官という職務に没頭した。
何よりも、古人皇子の人柄そのものに傾倒していった。
飛鳥では、古人皇子が謀反を起こすのではないかと警戒しているようだが、田来津には古人皇子がそんなことをするような人物には見えなかった。
むしろ何事にも控えめで、得てすれば周りに流されるところもないこともないのだが、だからといって出家した身で武器を携えるといったことをするような人物ではなく、ただひたすらに、己の運命を受けとめようとする直向な姿を、田来津は彼の中に見ていた。
それは、地方に追いやられた父の姿にも似ていた。
なぜ父が朴市の地に引っ込んでいるのか、田来津には不思議でならなかった。
息子が言うのもなんだが、武術の腕前では父の右に出る者はいないであろう。
しかし、彼は華々しい中央での生活を捨てて、故郷に戻って来た。
もしかしたら父も、古人皇子のように飛鳥を追われたのかもしれない。
弱き者のためにという父の性格だ、中央で厄介者扱いされたのだろう。
田来津には、父と古人皇子の姿が重なって見えた。
―― 古人皇子を守れるのは、俺だけかも知れない。
それは、護衛官という職務を超えた思いであった。
だが、この思いを踏み躙られる時がやって来る。
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