見出し画像

先人たちの「ピタゴラスイッチ」に感謝の口笛を。(2020/5/25)

たとえば、土足で家に上がらないとか、お箸の文化とか、もしかしたらおにぎりに海苔を巻くとか、科学的根拠や歴史的背景は露知らずですが、欧米のような死者急増を回避できているのは、医療現場の死闘だけでなく、名も無き先人たちの知恵も何かしら「効いている」のでは?!と感じざるを得ません。孫の世代も100年先もその先も、この地の人々を流行り病から守ってくれますようにと祈り、真剣に悩み、さりげなく仕掛けを遺してくれた方々は確かに存在したのです。有り難や有り難や。

巷の「After/Withコロナ時代の新しい生活様式」という発想が何だか浅はかというか、信用できず腑に落ちないのは、その発想が近視眼的で、過去の人々が試行錯誤してきた歴史を切り捨てるような短絡さを感じるからだと思います。地震も台風も疫病も、中長期の周期で確かに巡ってくる災禍なので、実は「新しくない」。ウイルスは新型でも、新種の感染症への必要な対策は伝統的に存在していたはずで、そして疫病後にふさわしい生活様式というものも、先人たちが何度も経験してきたはずなのです。「天が与えてくれたこの機会に、往年の名著や歴史書を読んだり、碩学のご年配の言葉に耳を傾けたりして、じっくりと『温故知新』する生活様式はいかがですか?」それで良いのだと思います。

たぶんですが、日記を書く人が増えていると感じます。僕もそうです。それはきっと豊かな生活様式の一つです。流れていく毎日を豊かに彩色する作業とも言えます。さらに、読み返すあてなどなくても、過ぎていく自分を日記に書き留めておく行為は、それだけで経験知を無意識化し、いつかの誰かを救う知恵になるかもしれませんから。

大震災と新型ウイルスは、平成30年を覆った消費至上主義の幻想にトドメをさしてくれました。グローバルだビジネスチャンスだと吹聴し、物質的な豊かさを競ってきた虚しさは、地に足がついたローカルで手作りな生活様式でこれからは埋めてあげましょう。

今、子どもたちが隣で「ピタゴラスイッチ」を見ています。「ガラクタ」をあれやこれや並べて、ビー玉を滞り無く転がしていくためだけの試行錯誤。それでも何だか楽しくて目が離せないのは、古きアナログな物たちを活かし続ける過程に、ささやかな発見と学びが隠れていて、それがちょっとずつ嬉しいんです。さあ!懐かしさを明日を彩る学びへと変えていきましょう。軽やかにリコーダーが鳴る、あのピタゴラのBGMのような、口笛吹きたくなるような面白い毎日が待っています。

【↓↓毎週欠かさず、ラジオを配信しています〜勝手に愉快ですので是非〜↓↓】