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「命の行方」(『瞬く命たちへ』いつかの最終回)

 母が中絶したため、俺は生まれることができなかった。別に生まれたかったわけではない。むしろこんな世界に生まれなくて良かったと思っているけれど、母の子宮の中に命が宿り、わずかでも存在してしまったことが嫌で仕方なかった。存在さえしなければこんな惨めな思いはしなくて済んだのにと母を恨み、憎んでいた。
 
 神さまはそんな俺のことを、なぜかへその緒に生まれ変わらせた。星居香(ほしいかおり)という母と彼女の娘の結椛(ゆいか)の命をつなぐ役割を俺に担わせた。無事、結椛が生まれ、用無しになった俺に神さまは今度は命の使いというへその緒の化身になることを命じた。
 
 しばらくは萎れたへその緒の姿のままで過ごしつつ、家族の様子を窺っていたものの、成長した結椛が俺と同じように、自分なんて存在しなければ良かったと後悔し、母親を恨み始めた時、へその緒の主である結椛の心を救うべく、俺は人間の姿になり、彼女の前に現れた。そして彼女が生まれないために、両親の仲を引き裂くことを決断し、俺たちは星居夫妻が付き合い始めた高校生時代にタイムスリップした。その学校にはちょうど俺の母である息吹芽久実(いぶきめぐみ)という教師もいて、幸せそうな彼女の生活も壊してやろうと企てた。つまり俺は結椛のために両親を不仲にさせ、自分のために芽久実先生を貶めるという復讐劇を結椛と二人で開始した。
 
 芽久実先生の暮らしぶりを覗いていると、彼女は俺を産まなかったことを後悔していることに気づいた。堕胎した俺を芽生太(めいた)と名付け、18年以上経過した今も、大切に思っていることを知った。そんな母のエゴのような心の内を知ったくらいで、俺の気持ちは揺るがなかったが、復讐すべき相手は母だけでなく、父やそして、母に一番中絶を迫った父の父、つまり俺の祖父も同罪と考えるようになった。産婦人科医の祖父は母の手術を担っており、俺の命を消した張本人だった。
 
 その事実を知った俺は、祖父のこともターゲットとし、観察し始めた。中絶の件で親に頭が上がらなくなった俺の父は、祖父により政略結婚させられたが、子どもができず、どうしても孫がほしい祖父はあろうことか、母にまた父の子を妊娠してもらうために、二人を同じ学校で働かせるように仕向けた。俺の命を消しておきながら、今さら母にまた父の子を身ごもらせようとする祖父に嫌気がさした俺は、祖父の策略を阻止するために、芽久実先生に好意を寄せるフリをして、父が母に接近できないように阻んだりしていた。
 
 俺の命に関してはまるで厄介なゴミのようにこの世から放り投げた祖父だったが、産婦人科医として患者からは慕わせていた。病気を患っている妻、つまり俺の祖母にもやさしく、悪巧みばかりする愚か者とは思えない面も見られたが、母にまた父の子を妊娠させるためなら、誰でも利用し、どんな手段も厭わない、したたかで自己中心的な祖父のことをどんな手を使って貶めてやろうかと、祖父と同じように自分勝手な俺は密かに企んでいた。
 
 母が俺を中絶した日からちょうど18年経った12月24日のこと…。その日は祖父と母が密会しており、その様子を結椛と二人で近くからこっそり伺っていた。二人が横断歩道で信号待ちしていた時、まだ赤信号だというのに、どういうわけか祖父は急に道路に飛び出した。交差点には速度を落としていない車が侵入していた。命の使いの俺は魔法が使えるため、助けることもできたけれど、自分のへその緒の主以外の人の命を救ったり、殺したりした場合、神さまにより、存在を消されるという掟があるため、少し躊躇してしまった。恨んでいるターゲットの命を救おうとする自分のことも分からなくなった。俺が迷っている間に、祖父を助けようと母も道路に飛び出していた。とっさに祖父を突き飛ばした母は車に衝突し、頭から血を流していた。
 
 「結椛…俺が長年、憎しみ続け、懲らしめたかった相手がどうやら死んでしまうかもしれない…。うれしいはずなのに、なぜか納得できないんだ。」
呆然としながら、俺は彼女にそんなことを言った気がする。
「この一年…芽久実先生を観察し続けて、先生は産めなかった命汰朗(めいたろう)のことを本当に大切に思い続けてることがよく分かったし、命汰朗がお母さんのことを助けたい気持ちはよく分かるよ。でも…あなたは私以外の命を操ってはいけないんでしょ?魔法で救えるとしても、掟を破れば命汰朗は消えてしまう…。そんなの…私は嫌だよ。」
「結椛、俺さ、結椛のへその緒に生まれ変われて良かったよ。馬鹿な母が俺の命を捨ててくれたから、俺は結椛と出会えたんだよな…。そう考えたら、なんかもう復讐とかどうでも良くなってきたよ。一年とちょっとの間、俺の戯言に付き合い続けてくれて、ありがとう。恋人ごっこしてくれてありがとう。俺はさ、ほんとに結椛の恋人になりたかったよ。命の使いは新たな命を作れないし、結椛の中に入ることも禁止されているから、ひとつになることはできなかったけれど、でも本当はへその緒だった頃みたいに、結椛とつながってみたかったよ。」
「こんな時まで、私の中に入りたいとかつながりたいなんてエッチなこと言わないでよ。でも…どうせ掟を破って消えてしまうなら、芽久実先生の命を救って消えるより、私の中に入って…私と交わって、消えればいいじゃない。」
結椛は涙目になって俺のことを睨んでいた。
「うれしいな、結椛が合意してくれるなら、是非そうして消えたいところだけど、でもやっぱり俺は…。ごめん、行くわ。結椛、今日まで本当にありがとう。大好きだよ。」
彼女にキスし、別れを告げると、俺は母が搬送された病院に向かった。
 
 ICUの前で祖父が母の手術の様子を見守っていた。
「なんだ…太朗(たろう)じゃなくてきみか…。大好きな芽久実先生のお見舞いに来たのかね。私の知り合いが推薦した外科医のエキスパートに執刀してもらっているが、なかなか厳しいらしい…。一命を取り留めたとして、意識が戻るかどうか…。」
珍しく憔悴している様子の祖父に向かって言った。
「あなたのことだから、芽久実先生の命そのものよりも、太朗先生の子を残してくれる可能性のある女性の命が消えかかっていることに慌てているんでしょ?それが悲しいだけでしょ?孫を抱く夢を閉ざされてしまうことが…。」
「…その話は芽久実先生か、太朗から聞いたのかね?まぁ、どちらでもいいが、まだ高校生のきみには分からないことだよ、初老の私の気持ちなんてね。産婦人科医として、一般の人たちと比べたら新たな命が生まれる瞬間に多く携われた豊かな人生だったと思いたいけれど、でもたった一度でも孫という命を抱けた市井のじいさんたちの方が、恵まれているんじゃないかと思ったりもするよ。」
「幸せは人それぞれですから、安易に比べられるものではないですよ。世の中には孫がいるからこそ苦労している人たちもいるでしょうからね。でも…羽咲(はさき)先生、あなたはかつて孫の命と出会うことはできているじゃないですか。孫の命をその手で確かめた瞬間があったでしょう?それだけで幸せだと思わなきゃ。」
俺の言葉を聞いた彼は少し顔を曇らせた。
「そんな話まで芽久実先生から聞いたのかね…?まったく彼女は生徒に何でもかんでも話し過ぎだよ。あぁ、そうだよ。私は一度、この手で孫の命に触れた。そしてすぐに始末した。産婦人科医の立場を利用して、あの時、邪魔者と思ってしまった孫の命を彼女から奪ったんだ。彼女はまだ産めなかった子のことを大事にしているようだし、もしも…時を戻せるなら、あの時、私が消してしまった彼女の子を、私の孫の命を奪うのではなく、守りたい。そして私のこの手で、その子をとり上げたかった…。」
「あなたって人は本当に自分勝手な人ですよね。その時々の事情次第で命を消すほう助をしたり、命がけで命を産もうとする母親たちを手助けしたり…。特に芽久実先生に関しては、本人の意向なんてお構いなしに、自分の思い通りに事を運ばせようと企てている。二人をまた接近させたとしても、新たな命はそう簡単に宿りませんよ。命は神さまの思し召しですからね。でも…同じく自己中な俺は時々言われるんです。羽咲先生、あなたにどこか似ていると…。似た者同士のせいか、あなたのエゴはほっとけないな。だから、あなたの望みを叶えてあげますよ。芽久実先生を元通りの健康な身体に戻してあげます。そして孫を抱けるかもしれないというあなたの夢をつなぎ止めてあげますよ、育次郎(いくじろう)じいちゃん。」
そして俺は俺より小さい彼の身体を少しだけ抱きしめ、彼の命に触れた。
「突然どうした、何を言ってるんだね?きみはたしか命汰朗くんとか言ったね…。きみは…何者だ…?」
孫として抱いてもらえなかった代わりに祖父を抱きしめた俺は、母の元へ向かった。
「あの子は一体、何だったんだ…。私は…さっき小さな子どもが赤信号の横断歩道を渡っている気がしたから、その子を助けようと飛び出してしまったんだ。彼はさっきの子に似ている気もする…。」
 
 他の人から見えない透明な状態に姿を変えた俺は、手術を終え、容態を見守られている彼女に近づいた。
「芽久実先生…俺、あんたのことずっと恨んでいたから、こんな形であんたが死ぬのは本望かもしれないんだけど、なぜか納得できなくてさ…。気まぐれかもしれないけど、助けたくなっちゃったよ。俺なんて存在しなければ良かったって思ってたけど、あんたから命をもらえた以上、やっぱりあんたの中から生まれたかったのかもしれないと気づいたよ、母さん…。」
俺は彼女に口づけすると、みるみるうちに身体はひとつの細胞ほどに小さくなり、彼女の膣から体内に侵入すると彼女の命と同化して、消えた。
 
 俺という存在が消えると同時に、彼女は意識を取り戻した。
「羽咲先生、奇跡が起きました。息吹さんの容態が劇的に回復しました。後遺症も全く心配ないほどです。」
執刀医からそう告げられた祖父は涙を流していた。合流していた父も泣いていた。
 
 命の使いの俺が存在していたことは関わったすべての人たちの記憶から消去され、俺は当初、自分が願っていた通り、完全に自分という存在を世界から消すことができた。喜ばしいことのはずなのに、少しだけ虚しい気持ちが残った。
 
 その後、祖父の策略とは関係なしに父とよりを戻した母は42歳で妊娠した。
「あのね…この子の名前考えたの。男の子の気がするから、命多朗(めいたろう)。芽生太とは違う命だから、違う名前にしたの。どうかな?」
「命多朗か…いい名前だと思う。本当に男の子だったらその名前にしよう。」
父が母の考えた名前を祖父に知らせると、
「命多朗か…奇遇だな。私もその名前を考えていたんだよ。私の孫にふさわしい名前の気がしてね。」
祖父はそんなことを言いながら、目を細めていた。
 
 俺が過去を引っ掻き回したせいか、精神を病んでいたはずの結椛の母親の病状も回復し、二人は結椛の20歳の誕生日に、二人の命をつないでいたへその緒を一緒に眺めていた。
「ママと私を結んでくれていたへその緒…年々劣化してきているように見えるけど、二度と手に入れられないものだから、大切にしないとね。」
「そうね…私が病んでいた頃、ゴミ袋に捨ててしまったのに、結椛が拾ってこうして大切に持っていてくれるから、ママもうれしいわ。結椛がママのおなかの中で育った証だものね。へその緒の中には命の思い出が詰まっている気がするの。」
「私もいつか…自分に子どもが生まれたら、その時は絶対、へその緒を大事にするって決めてるの。」
「相手は…もしかして瞬音(しゅんと)くん?」
「もう、ママってば違うよ。瞬音くんとはまだ友だちだから。」
自分という存在を消してしまいたいと荒んでいた結椛が自己の存在を肯定できるようになり、笑顔を見せるようになったことが何よりうれしかった。
 
 母さん、俺を存在させてくれてありがとう。あの時、産めなくて苦しんだようだし、後悔もしたみたいだけど、俺は結椛と出会えたから、本当に幸せだよ。もう俺のことは忘れていいから、おなかの子を大事にしてね。俺は、俺と同じ名前を考えてもらえただけで、十分だよ。母さんのおなかの中にいる命多朗くんの命もずっと見守っているからね…。

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