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平成の絶版本 暴騰&暴落物語

需要と供給のバランスでモノの価格は決まる。
市場経済のイロハのイである。
本もモノだ。この運命を逃れられない。市場メカニズムが働くのは、再販制度の外にある古本の世界だ。
「大ベストセラーが半年後にBOOKOFFで叩き売り」というのはありふれた光景であり、我が家の場合、「ハリポタ」という深い沼の入り口がまさにそうだった。

もちろん、逆のケースもある。
供給が途絶えた良書、絶版本の高騰である。
個人的経験のなかから、平成最後の日に愉快な思い出を振り返りたい。

「トルコ狂乱」の狂乱相場

ちょっとマイナーなところから参りましょうか。
2008年刊の「トルコ狂乱」である。

上のAmazonリンクをよく見てください。
価格が表示されていない。銀座の怖い寿司屋みたいだ。
これは「版元からの新規供給の予定はない」という意味だ。
普通の本は、こんな感じで値段が出ます。

と、さりげなく自著の宣伝を消化したところで、豆知識。
「トルコ狂乱」のような供給途絶状態の本は、Amazonでおなじみの「カートに入れる」ボタンがなくなる。これです。

絶版でなくても、版元の在庫が枯渇するほど爆発的に売れると、一時的にこうなる場合があるらしい。一部業界人の間では、カートのアイコンが消えるので「カゴ落ち」と呼ぶそうだ。
へー!へー!へー! 最近知りました。
おカネの教室は、以下のような涙ぐましい活動がたまに大ヒットして、何度かAmazonで売り切れたことがある。

でも「カゴ落ち」までは行っていない(と思う)。
目指せ「カゴ落ち」!

脱線しすぎた。閑話休題。
さて、「トルコ狂乱」である。
熱量の高い版元・三一書房の紹介文を引用する。

トルコにて累計100万部の大ベストセラー、世界初訳!
第一次大戦にて敗戦したトルコ(オスマン帝国)は、連合国の占領を許し、さらにはイギリスの傀儡であるギリシャ軍の攻撃を受けるに至った。オスマン帝国の指導者たちが国を売るかのように振る舞う中、ケマル・アタテュルク率いるアンカラ政府軍は、三年にわたる苦戦の末、サカリヤ会戦に勝利し独立を実現する。熱きトルコ人たちが熱狂して国を作り上げた姿を描く長編歴史小説。
本書は、2005年、トルコ共和国において出版され、現在353刷、累計65万部以上(海賊版を含めると300万部以上!)を誇る、トルコ史上空前のベストセラー小説である。単純なエンタテインメント小説ではない国の成り立ちを描いた大著が、このような売上げ部数を達成しているということは驚異的であり社会的な「事件」とまで言えるだろう。
元トルコ国営放送(TRT)副総裁が若いトルコ人読者向けにと著した本書は、今後トルコ国民の国民意識や歴史認識に大きく影響を与えていくことだろう。また、いままであまり日本で紹介されてこなかった救国独立戦争の一次資料を驚くべき熱意でまとめ上げた歴史資料としても重要な一書。
(太字は高井)

熱い。これは、熱い。メチャクチャ面白そうだ。
ちなみにハードカバーで880ページと物理的にもメチャクチャ厚い。そっと置かなくても、フツーに自立します。
問題は、この厚さだった。
日本橋丸善で発売直後に見かけたとき、「あー、これ、重すぎ」と購入を見送ってしまった。
そのうちAmazonで、と先送りしたのが運の尽き。
発売から数カ月ほど経ったころだったろうか。
ふと思い出して読みたくて堪らなくなり、Amazonを検索した。
目を疑った。
定価3990円の本が「カゴ落ち」して、古本の出品は軒並み数万円に跳ね上がっていた。
今、Chromeの拡張機能Keepa Box(これ便利。最近、無料の機能が劣化して鬱…)の価格履歴を見ても、2015年末ごろに瞬間風速2万円弱を付けている。

まるで仕手株のチャートだ。「トルコ狂乱」の狂乱相場である。
その辺りが「居所」になっていた10年前、私は冷静に「ほしい物リスト」に「トルコ狂乱」を加え、バブル崩壊を待った。
さすが相場記者。できるなら空売りかけたい気分だった。
案の定、その後、価格は6000円程度まで下がった。今はこの辺りが相場のようだ。おそらく「古本の古本」が流れるようになったのだろう。マーケットってのは、これだから面白い。
私は結局、2014年に入手した。期待を裏切らない内容で、6000円でも大満足だった。

さて、ここで版元の紹介文の一部を再引用する。

現在353刷、累計65万部以上(海賊版を含めると300万部以上!)

353刷。これは尋常ではない。手元の新潮文庫の「人間失格」で150刷、漱石の「猫」も100刷ぐらいだ。ちなみに「おカネの教室」は9刷で足踏みしている…。
それにしても、トルコの出版事情には明るくないのだが、こんな売れてて1ロット平均2000部弱しか刷らないって、どういうことなのか。
この353回も増刷された作品を、三一書房は(おそらく)初版のみで絶版にしている。
供給途絶で価格暴騰。美しいまでの市場原理である。

実は中古本が高騰していたころ、私は三一書房のお問合せコーナーに3回ほど投稿し、生まれて初めて版元に「増刷を!」とお願いした。
完全スルーされた。
それにしたって一度も返事もないなんて、お問合せコーナーとか作るなよ、と腹が立ったのを思い出して、今、何気なく三一書房のWikipediaを見てみたら、「それどころでは無かったかもしれない」と言うことを知った。
なかなか香ばしい、もとい、味わい深い歴史を持った出版社だ。

さて、本件の教訓ははっきりしている。

気になる本は、その場で買っておけ。

これだ。特に、版元が大手ではない学術系や趣味的書籍は「一期一会」だと思った方が良い。
ちなみに本書は、

2014年 東京で入手
2016年 渡英時に持参
2017年 イスタンブールの同僚に貸し出し
2018年 東京帰任後に返却される
2019年 東京でイスタンブール赴任予定者に貸し出し

と渡り歩き、現在は「読み切れませんでした!」という同僚が持って行ってしまい、イスタンブールの本棚だか枕元だかに鎮座しているはずだ。
反復横跳びみたいな動きだけど、距離的には世界一周ぐらいしている。
クソ重い本だというのに、数奇な絶版本にふさわしい数奇な道のりだ。というか、ちゃんと返してね……。

さて、こんな高騰劇を見ると、「ワインのように、希少本を何冊かキープしておけば一財産になるのでは?」などというスケベ心がムクムクと頭をもたげる御仁もおられよう。
だが、それはやめておいた方がよい。
次にご紹介するのは、知る人ぞ知る、ある名著の暴落物語だ。

「すごい日本人」の本のすごい暴落

何やら最近は「日本人はすごい」みたいな本やテレビ番組がブームのようだが、そんなにすごい日本人の話が知りたいなら、これこそ必読の書だろう。

服部正也さんという最後は日本人初の世界銀行副総裁にまでなった日銀マンが、1965年から6年間、アフリカの小国ルワンダに招かれ、中央銀行というか、一国の経済システムをイチから作ったという、ウソのような本当の話。Amazonの「内容」から。

一九六五年、経済的に繁栄する日本からアフリカ中央の一小国ルワンダの中央銀行総裁として着任した著者を待つものは、財政と国際収支の恒常的赤字であった―。本書は物理的条件の不利に屈せず、様々の驚きや発見の連続のなかで、あくまで民情に即した経済改革を遂行した日本人総裁の記録である。今回、九四年のルワンダ動乱をめぐる一文を増補し、著者の業績をその後のアフリカ経済の推移のなかに位置づける。

紹介はちょっと素っ気ないが、この本は滅法、面白い。
ちなみにこんな方です。

服部氏の中銀総裁期間の功績をWikipediaから引用しておこう。

ルワンダ中央銀行時代(1965年-1971年)の主な施策
▽外国人職員の強化による行員の教育
▽経済再建計画の立案(基本構想は、生産増強の重点を農業におき、農民の自発的努力によって自活経済から市場経済に引き出すというもの)
▽通貨改革
ルワンダ・フランの新平価の決定(国際収支と物価水準の均衡)
二重為替相場制の廃止(自由外貨を政府外貨に統合し、外国人の利潤の不当な増大を防止)
▽税制、財政改革
・税制改革(ルワンダ人と外国人の税負担の不均衡を是正するため、税収の大部分を間接税に求める)
・財政再建(予算規模を3年間固定、予算執行の準則、予算費目の間の流用の禁止、国庫仮勘定の縮小)
・貸付や国債保有に関する金融機関(ルワンダ貯蓄金庫、ルワンダ商業銀行等)との協定
・貿易外取引の改正(俸給送金、家賃収入の送金、企業の利益送金等)
・資金援助に関する国際通貨基金や外国政府との交渉
▽産業育成
・物価統制の廃止
・農業生産の増強(コーヒーの生産者価格の決定、農産物の多様化)
・会社法の立法(商業活動をルワンダ人またはルワンダ法人にのみ認める)
・商業における競争の導入(1件200ドルまでの国境貿易の許可、外国銀行券の携帯輸出入の許可、外国銀行券の保有と取引の自由化)
・新銀行設立の援助(キガリ銀行、ルワンダ開発銀行)
・物流の整備(倉庫会社設立の援助、日産自動車と日産ディーゼル(当時、現「UDトラックス」)よりトラックを導入)
・公共交通網の整備(バス公社の再建、各都市間の定期交通便。日産ディーゼルよりバスを購入)
・ルワンダで操業するベルギーの鉱山会社との交渉

Wikipediaは列挙の締めに、「以上の施策の結果、消費者物価の安定、外貨事情の安定、農業生産の増加、輸出入の増加、税収の増加、経済の質的向上などの成果をみた」と記している。
これはもう、リアル・シムシティだ。面白くないわけがない。
金融・財政・為替・産業政策のケーススタディとして見ても、地に足がついているなんてレベルではない現地事情への深い洞察があふれていて、「参りました」としか言いようがない。
簡潔でいて真情あふれる筆致や、大統領との最初の対面のドラマチックな場面など豊富なエピソードも素晴らしい。
私の一番のお気に入りは離任時の「任務終了、帰国す」の項だ。
少し長く引用します。ネタバレになるので、もう読む気になっている人は以下のボックスはスキップを。
迷っている方、これでポチらないなら、ハートがないってことだ。

中央銀行という重要な国の機関は当然その国の人が総裁とならなければならない。(中略)中央銀行の運営はそんなにむつかしいことではない。これが国民にできないようでは、独立国の資格がないといわれてもしかたない。
(中略)
「人間たれでもうぬぼれがあるから、その質問に対して、後継者が自分と同じようにできるという人はいないでしょう。なるほど私は、二十数年の銀行経歴をもっていて、その点では私はビララ君(現地人後継者=高井注)よりは優れているでしょう。しかしなんといっても中央銀行は国民のもので、国民を知っていなければうまく運営されるものではない。この点ビララ君は、ルワンダ人である点で外国人である私より有利です。しかし、中央銀行の運営自体をむつかしいものと考えてはいけません。(中略)何事も本質はきわめて簡単なのです。ルワンダ中央銀行についていえば、『疑わしきはノーと言い続ければ大きな過失を犯すことはない』とうことになります」
 私は六年間、ルワンダ人と広く深く接触したが、その場合つねに一線を画することは忘れなかった。おだてに弱い人間の常として、だまされること、好悪親疎の感情で判断を誤ることを恐れたからである。私は自分に対するルワンダ人の親愛の表現も一切、私の地位に対するものとして心の中で拒否しつづけていた。ところがいよいよ私が本当に帰ると知れわたったときのルワンダ人の反応は意外であった。大臣たちはじめ官吏、商人、村長までが別れを惜しみにきてくれた。(中略)このルワンダ人の惜別の行動を見て私は、従来私に対して示した彼らの親愛の情が、本当のものであると認めざるをえなかった。そうしてそれを、どうせ地位に対するものだろうと、頑なに拒否していた自分の心情をかえりみて、彼らに申訳ない気がした。
(中略)
この送別会での大蔵大臣の送別の辞のなかに、次の一節があった。
「あなたは、ルワンダ国民とその関心事を知るため、(外国人の)クラブや協会、滞在期間が長いという理由で、当国の事情を知っていると僭称する人たちから聞き出すことをせず、直接ルワンダ人にあたって聞かれた。(中略)あなたの基本的態度は、ルワンダ国民のために働くのであるから、まずルワンダ人にその望むところを聞かなければならないということでした」
この送別の辞の大部分を占める、私の業績に対する賛辞には、私は感動はなかった。職務を立派に遂行することは棒給に対する当然の対価であって、あたりまえのことをしたからといって賛められることはない。しかし、私のルワンダとルワンダ人を理解しようとした努力を、ルワンダ人が理解してくれたことは、私の大きな喜びであり、私に対するルワンダ人の信頼が、単に外国人崇拝とか地位に対する妄信によるものではなく、自分たちを理解しようとしている異国人の努力に対するものであったことを知った。
(中略)
こうして私は、ルワンダ滞在の最後の一月になって、自分にルワンダ人の友が多数できていたことを発見し、実に後髪引かれる思いでルワンダを去ったのである。

素晴らしいの一語に尽きる。なぜ映画化しないのか。
言わずもがなの補足を。
服部氏は聖人君子ではない。Wikipediaにあるように、海軍時代は鉄拳制裁を辞さない鬼教官で、阿川弘之さんなんかをぶん殴っていたらしい。申し訳ないが、これも笑ってしまう。深みがあって人間として面白い、なんて書くと、今のご時世では political に incorrect なんだろう。ここ、読まなかったことにしてください。
ルワンダでも、明記されていないが、政府組織の刷新や軍・治安当局との関係構築など、相当の辣腕を振るったと推測できる部分がある。
まあ、そうでなければ、ほぼゼロからというかマイナスから一国の経済を立て直すなんて偉業は達成できないだろう。

ここまで面白さを強調してきたが、これは読んでいて胸が締め付けられるような本でもある。
我々は、服部氏による経済改革で最貧国から「アフリカの模範生」に抜け出たルワンダが、死者50万とも100万とも言われる犠牲を出した動乱に陥った歴史を知っている。
その知識の上に立って読むと、「人間、やればできる」という希望と「崩れるのは一瞬」という絶望が混然一体で迫ってくる。
ルワンダ経済は今また、復調している。そこで再び服部氏が残した「土台」が一役買っていると思うと、胸が熱くなる。
増補版には著者・服部氏のルワンダ動乱についての見解も載っている。
くどいですが、とにかく読もう、という1冊。

さて、こんな名著なのに、2009年に復刊されるまで長く絶版だったのだ。毎日出版文化賞まで受賞していたのに、である。
中公新書でもこんなことがあるのだから、油断できない。
気になる本は見かけたら買っておけ、である。
復刊前はこの本は、中古市場で軽く数万円の値段が付いていた。
その名残か、Amazonで流通している1972年刊のオリジナル版にまだ2万円ほどの高値を付けている業者がいる。中古価格履歴にも株の誤発注みたいな3万円超の素っ高値が残っている。
復刊前は、持っている人間は鼻高々で「え?読んでないの?」とマウンティングできるし、その気になれば数万円で換金できる、まさにお宝だった。
それが今や、増補版は税込み1000円ちょい。
仕手株やビットコインも真っ青の暴落である。
復刊されたのは、「こんな名著を埋もれさせて良いのか」とネット上で版元への要請が集まったからだったと記憶する。
退蔵していた方、泣く泣く高値で入手した方々にはお気の毒だが、復刊直後に入手して私も噂の名著が読めた。
中公新書、グッジョブである。

いつの間に!復活した伝説のジョーク対談

他人の不幸を「グッジョブ」とか言っていると、ちゃんと我が身に跳ね返ってくるのが浮世の常だ。
実は、私も「これ、絶版なんだよねぇ」とニヤニヤしながら何度も再読してきた愛読書がある。
これである。

「水の上を歩く?」は、文豪・開高健と週刊プレイボーイの名物編集長だった島地勝彦氏のジョーク対談集だ。ちなみに私は、中高生のころに開高健にはまり、片っ端から読んだ大ファンだ。

1989年刊の本書を買ったのは1992年、大学生のころだった。一読、二読、三読と読みまくり、「こんな大人になりたい」という憧れの原型になった。
2人の会話の幅が広く、下ネタでもやり取りが洗練されていて、テンポが良くて、なにより友情と愛がある。
下の写真のように、読み過ぎてカバーの折り返しがちぎれてしまい、それが栞になるという、私の何冊かの愛読書の末期症状を呈している。

(若者よ、こんな友達がいる大人になろう)

さわりに、私のお気に入りでもあり、Amazonの内容紹介に引用されているジョークを引用しよう。

新入社員の新聞記者が、記事はできるだけ簡潔に書けとデスクに言われて、書いてきた。
「トム・スミス氏は、昨夜九時、自宅ガレージにて愛車の燃料タンクにガソリンがあるかどうかを調べるため、マッチをすってみた。あった。享年四十四歳」

終始、この調子で、もう最高である。
「宇宙人に子孫を残す方法を示す」というジョークも最高で、超気に入っているが、教えてあげない。読みましょう。

最高なのはジョークの中身だけではない。
たとえば、島地氏の「こんなジョーク知ってます?」という言葉に「知らない」と文豪が即答するやり取り。「これが大人ってものか!」と痺れまくった。野暮を承知で付言すると、ジョークを聞いて「それ、知ってる!」としたり顔で返事するほど野暮な真似はない。
本書内で開高健が紹介しているモンゴルの諺は、私の座右の銘の1つになっている。曰く、

愚か者は食い物について語り、賢い者は旅について語る

くー!。たまらん。

いかん。どうも好きな本の紹介だと見境なく脱線してしまう。
絶版本相場の話だった。
この「水の上を歩く?」も、ひところは中古市場で数千円から1万円ぐらいの高値がついていた。定価は1100円ぐらいだ。
「今はどうかな?」とこの原稿を書くためにググってみて、驚いた。
「蘇生版」なる復刻版が出てるじゃないですか!

みなさん!
とにかくポチりましょう!
いつまた絶版になるか分かりませんよ!
ということで、中古相場は崩壊し、私の蔵書はただの汚い古本となり果てたようだ
大変喜ばしい。一人でも多くの人に読んでほしい。
それに、紙は焼けて色褪せているが、思い出は色褪せないからね……。
ちょっとイマイチだな、このオチ。

番外編 麗しき装丁本の復活劇

オチがいまいちだったので、「暴騰・暴落ネタ」ではないけど、絶版本の復刻のユニークな体験を共有して本稿を閉じたい。

ロンドン駐在時代のある日、ぶらついていた書店の一角にくぎ付けになった。下の写真はインスタの投稿のキャプチャ。

なんという素敵な装丁。美しい。美しすぎる。
これは Penguin Classics という古典のシリーズで、手軽に持ち運べない新潮文庫と思っておけば間違いない。
装丁の専門的なことは分からないが、布地に箔押しの手触りが最高で、手に取るだけで多幸感がこみあげてくる。
しかも、1冊15~20ポンドと、ほぼタダだ(←違う)

インテリアだと思って全部買ってしまうか迷ったが、本棚不足問題が深刻な折、グッと我慢した。
手元にあるのは3冊だけ。私が選んだのはキプリングの「ジャングルブック」。「不思議の国のアリス」とディケンズの「大いなる遺産」は娘たちの本だ。おいおい、渋いチョイスだな……。

これだけなら「へえ、素敵ですね」というだけの話なのだが、このインスタ投稿には予想外の反応があった。Carlijn Bakker という見ず知らずの女性(確かオランダ人)から、メッセージが届いたのだ。何事かと思ったら、

「このシリーズ、Crime and Punishment がないの!復刻するようにPenguinに掛け合ってるから署名して!」

という呼びかけだった。署名嘆願のプラットフォームChange.Orgで進行中のプロジェクトに賛同してほしいという。
「本好きに国境はないな!」と愉快になり、「罪と罰」は日本語でも何度も挫折したことは脇に置いておいて、喜んで賛同した。
そして数か月後。こんなメッセージが届いた。

Victory! には笑った。確かに、大勝利だ。
そして今、Amazon UKを久しぶりにのぞいて、リアルに仰け反った。

コメント765件!
復刻、大成功!
版元も、読者も、Win Winすぎる。
それにしても、この装丁の美しさよ……。
残念ながら、発売前に帰国してしまったので、署名したのに買えていない。丸善で買ったら、高いだろうなぁ。
というか、やはり全シリーズ買ってくるべきだった……。

令和で「一期一会」は消えるのか

こうしたドラマは「フィジカルの本」でしか起きない。
無限に供給できて、海賊版はあっても「中古」が出回ることはない電子書籍では、あり得ない。
平成から令和に変わるからどうという訳ではないが、書籍の電子化の波は止まらないだろう。
絶版本の高騰と暴落なんて風景は、そのうち「昭和かよ!」とか「平成かよ!」とか言われるのだろうか。
明日から「二代前のモデル」に型落ちする昭和世代のオジサンとしては「それはちょっと寂しいな」と思うわけであります。
一期一会の緊張感と温もりも、捨てたものではない。
慢性的な本棚不足という制約も含めて、蔵書の構築はとても楽しい。
令和の世でも、昭和なオジサンは、せっせと本を買い込む所存であります。

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