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続けていることに気づく幸福

僕には続けられている習慣が3つあります。
1つはパステル画を描くこと。これは少なくとも1年以上は続いています。きっかけは坂口恭平さんで、彼の猿まねをしていることは否めませんけど、ともかく続いているわけだし、それはそれでよしとしています。
それから2つ目は、執筆活動。これは特に今は誰かの猿まねというわけでもないです(もちろん、当初は真似て書いていました)。中学三年生のころ、つまり僕が15歳の頃から、細々とですが続いています。
3つめは読書で、これも本格的に読み始めたのは中学生からです。それから、小説、ビジネス書、自己啓発、実用書、新書、児童文学にいたるまで、とにかく興味の赴くままに読んでいます。特に最近はまた熱が入ってきて、今まで以上に読んでいるのが現状です。

そんな僕ですが、決して一流なわけじゃありません。パステル画にしても、執筆にしても、読書にしても、ただ続けているだけで、ほとんどお金にはなっていません。
執筆はいちおう、主な収入源(シナリオや脚本を書いています)ですけど、パステル画はお小遣い程度の稼ぎですし、読書にいたっては何のお金も生み出していません。ですけど、それでいいと今は感じています。なによりお金が好きじゃありません。もちろんお金をもらうのは大変嬉しいですが、それが目的になってしまうと、途端につまらなくなってしまうからです。

僕はそれほど器用な人間じゃありません。
ですから、お金をきちんともらうブランディングをしつつ、売れるものを書いたりしつつ、それでも自分が楽しみ、ワクワクと人生を過ごせる…なんてことができません。
そもそも、才能がないのですから。才能があるとしたら、きっともうすでに文章は莫大な富を生み出しているでしょうし、絵を描くことにしても、子どもの頃から興味を持ち、きちんと絵画教室にでも習いに行っていたでしょう。
でも、僕がパステル画描き始めたのは、この一年余りのことです。それだけとっても、自分がいかに芸術的な才能のない人間なのかがわかるというものです。
あのゴッホですら、本格的に絵を描き始めたのは27歳から。それだけでもスタートが遅かったと言われるわけです。僕なんてもちろん、言うまでもなく、というやつです。

それでも、続けられていることを僕は誇りに思っています。
たとえ真似だろうが下手だろうが、続けられていること。この事実を僕は大切にしたいわけです。
考えてみれば、絵を描くことや、読書はともかく、執筆なんてものは毎日しているわけでもありません。正直、書くことはしんどいです。特に仕事になってしまっている脚本業のようなものは、お金を貰わなければ、という意識があるためか、よりしんどくなっています。それでも、続けられています。僕のこの続ける、というのは、あくまでも「なんのかのと続けられてしまった」というのも含まれています。

好きだからこそ続けられている。まさにそうでしょう。それは否定しません。僕にもそういう側面はあります。パステル画は好きだから続けています。でも、読書や執筆は、ときに嫌になるときもあります。読書していない時期、執筆から離れている時期もあります。でも、いずれは帰ってきてしまいます。才能がないのだから、やめたほうがいいのではないか、と悩むこともありました。けれど今は、そんなことはきっと関係がないと思っています。

そもそも、続けることと、才能には何の関係もないんです。一生、下手の横好きのままで生き続ける人もいるでしょう。実際、下手の横好き、という言葉があるくらいですから、これは現実的にあり得る話です。
しかし、じゃあ下手の横好きのままで人生を終えた人は、不幸だったかどうかといえば、そうとは限らないと思います。むしろ夢中になれるもの、続けられたものがあったという事実は、その人にとっては幸福の一助となるのではないでしょうか。
いや、むしろ僕はそれこそを幸福の条件に位置づけたいです。何か夢中になれるもの、好きなもの、そうでなくても、何となくでもいい、つい続けてしまうようなもの。それを見つけ、続けている自分に気づいたとき、人は幸せを感じるのかもしれません。

恋だって、あるいはそれに近しいものがあります。ふと、気づきます。その人を好きになってしまっている自分に。そうしたとき、恋だということに気づくのです。

僕が何かを続けている理由は、そこにあるのかもしれません。続けている自分に気づいた瞬間、幸福を覚えた。だからそれを、味わい続けたい。そんな気持ちが僕の中にはあるのかもしれません。

きっとこれからも、何かを続けていくでしょう。そうしたときの、振り返って気づいたときの、幸福を僕は覚えているから。それを知っている限り、僕はいつまでも自分を楽しませることができると、確信しています。

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