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私が暮らしを愛するのは、HPが低いから

どういうこと?って感じのタイトルですよね。私、たまに思うんです。もし私自身がもっと有り余るくらい元気で、何しても疲れない人間で(または疲れてもすぐに疲れを吹っ飛ばせる人間で)、熱い情熱持ってもっと使命感に溢れてて毎日やる気モリモリで、新しい人やコトが大好きでたくさんの人に会いたいような人間だったら、日々の『暮らし』にはあんまり興味なかっただろうなって。

私は、自分が思ってるより自分が日々使えるエネルギー量が少ないタイプの人間らしい。まあHPが低過ぎる。以前友人に四柱推命見てもらったときも「仁美さんの月の稼働可能日数は10日だよ」って言われたり、他の分析ツールでも平均よりも確実に「体力」や「気力」みたいなエネルギー量を表す数値の部分が低い低い。私自身、もっとエネルギーの満ち溢れたハツラツとした人間だと思っていたけれど、こうしていろんな診断とかを見てみるとそれはもしかしたら勘違いだったんじゃないかと思わされる。

そして実際問題、私はすぐにダウンする。いやいやこれくらい大丈夫でしょって思えるくらいの活動量でも、すぐ疲れる。以前は疲れたからといってやめることなく、これくらい大丈夫って言い聞かせ続けて結局動けなくなるというのを繰り返していたのだけれど、今はもう疲れた気がする…と感じたらすぐ諦めて、自分にストップをかけるようにしている。

そしてそんな私の小さい小さいエネルギー量でも動き続けられるのが、毎日の『暮らし』のことだった。

あんまり人に会いたくない → 基本自分のことだから1人で出来る
大きな刺激にさらされたくない → 小さな変化しか起きない
早いスピードについていけない → 自分のペースでできる(なんなら好きなときに休める)
1回のダメージが大きいと回復に時間がかかる → 失敗してもすぐに取り返しがつく
気が合わないものに触れるのを避けたい → 自分の好きなものしかない

とまあこんな具合で、エネルギー小さい族の私にとって、暮らしのことに没頭するのはとても理にかなっているようだ。それに、もっと自分のことを過大評価してエネルギーいっぱいの人間だと思い込んで生きていた時よりも、自分の限界に達することがほぼないし、というか暮らしのことをすればするほど充電されるような感覚さえある。掃除をすれば元気になって、料理に没頭すればまたエネルギーチャージされる。本棚のDIYをすればさらに満ち溢れて、香りを焚けば世界は無限だとさえ思えてくる。

自分にないものを求めて無理をしたところで、結局そこに自分の本当の姿はないらしい。自分が自分で自然に居れるような場所にただただ在ることができたらこんなに幸せなことはないし、そう生きることが、まわりの世界とのエネルギー循環をいちばん自然に、スムーズにしてくれるのだろう。例えどれだけ使えるエネルギーが小さかったとしても。

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