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定年退職は命の危機

 私のまわりでは、60歳前後に亡くなった方が、非常に多いです。
 奥様が亡くなるケースもあります。
 定年前後、やっと長年背負った責任から解放されて、ほっとしたら、ガクッと来たのか。今まで、無理して我慢してきたストレスの積み上げが、病気の扉を押し開いたのか。不摂生が引き金となったのか。
 皆、元気な方々ばかりだったのです。
 若い頃を知っているだけに、無念だったろうと思います。
 自分は体が頑丈だ、体力があるぞ、毎日元気いっぱいだ。そんな皆さんでした。未熟な自分をご指導いただいたり、一緒にお酒を飲んだり、スポーツをしたり。
 やっと定年を迎えて、次つぎと、癌になったり脳溢血で倒れたり心筋梗塞になったりと・・・・・。
 いったい何故なんだ。
 改めて過去を振り返ってみると、毎年のように、この定年の前後の時期に、何人か、このような悲劇が起こっているように思えます。
 これは、どういうことなのか。
 むしろ持病があり、若い頃から病院に通い、長年慎重な生活をしていた方で、定年前後に亡くなった方は、私の周りではほとんどいません。私が知らないだけかもしれませんが。みなさん、第二の人生を順調に迎えているように思えます。
 よく、定年について、雑誌などで、一般的に言われていること。
「収入の激変と再雇用」
「人間関係の見直しと生き甲斐」
「人間ドックなどの健康チェックと生活習慣の改善」
 雑誌記事は、このようなものが多いですよね。
 でも、もっと深刻な問題もあるのではと思えるのです。
 元気だった人が突然亡くなるのを、あまりにも経験すると、60歳とは健康維持というより『体が大変化する時期』と思えてならないのです。無自覚に進行する危機です。
 亡くなる事例は、職場だけではありません。
 自分の住んでいる周辺の家のご主人。皆さん、会社員の方々ですが、前後左右の家や向かいの家も同じです。60歳前後で亡くなられている方の家が、何軒もあります。
 もう一度、定年対策の三点。「収入の激変と再雇用」「人間関係の見直しと生き甲斐」「人間ドックなどの健康チェックと生活習慣の改善」とは、生活設計・心の健康・体の健康というわけです。
 これとは次元の違う大きな問題が、本人の無自覚なレベルで進行していると思えてならないのです。
 それは『死のリスク』です。
 現役時代は、健康診断でも、人間ドックでも、あるいは軽い病気の診断でも、医療的には発見できず、公私に忙しく時が過ぎていく。ちょっと血圧が高めかなとか、それとなく黄色信号が出ていたり、ささやかな兆候を見過ごしたり、軽い不調を「心配するほどでもないかな」と軽視したり。
 医療的には問題視するほどでもない、身体のわずかな変化。
 実は潜在する危機の進行を自覚できないがゆえに、見落としているのではないでしょうか。
 『氷山の一角』という言葉があります。
 中年以後は、わずかなシグナルも、このように『氷山の一角』と、とらえたほうがいいのです。
 心配性を笑うことなかれ。心配性は長命の基本かもしれません。
 定年時、今までとは異次元の生命の危険な変化が訪れている。
 60歳の『壁』ともいうべき体質変化が表面に現れる時。
 原因結果の法則から、悪い原因が体内に借金のように蓄積し、利息がついて、60歳前後で借金取りが押し寄せるように病が爆発する。
 これは、女性も、まったく同じです。
 若い頃、お世話になった先輩女子職員。共働きで、二人で一緒に定年を迎える三月に、奥様が亡くなったケース。 子育てが一段落し、御主人も、やっと私の時間がもてる、なのに・・・・この現実。
 私の偏った見方かもしれません。
 でも確信しています。
 この『60歳の壁』を乗り越えるために、本当に真剣な取り組みが必要だと。
 私の場合は・・・・おっと歳がバレてしまうかも。ま、いいや。
 定年後の再就職先で、徹夜、深夜残業。その他、色々。
 突然の坐骨神経痛。目の前のコピー機まで、歩けなくなりました。血圧が一挙に50以上も跳ね上がり、体に様々な不調が発生。
 こんなとき、父のことを思い出しました。
 父も早期定年で再就職した会社が倒産。髪が真っ白になったことがありました。まっ、私が父に心配をかけていた時期のことではありますが。
 父の苦労のいくつかは、私が原因かも。
 定年後、私は体調不良になった時、すべてを捨てることにしました。
 やりたいことがありましたし、家族もいるのだから、収入が激減しても、自分の『命を守る』ことを最優先にしたのです。
 頭の隅には、亡くなった方々のことが、思い出されて仕方がありませんでした。私自身は、若い頃に不摂生をして、二度入院したことがあり、それもよい教訓にはなっていたのかもしれません。
 手遅れにならないうちに、手を打つ。
 死んだら終わり。
 病気したからこそ、命を大切にと。
 目標を定めて、『長生きしてやるぞ』と思い決めたのです。
 定年前の上司との面談では、強がって、随分と調子のよいことを言っていたものです。
「生涯現役ですよ。若い人には負けませんからね」
 なんちゃって。
 強気丸出し、見栄を張り。
 元気を売り物にした自分の看板。「それじゃあ」と人事が課題ばかりの職場を手配して、私はもろに壁にぶつかり、「これは現役の仕事だろう」と愚痴叩き、強気の看板をあっさりと下ろしてしまった次第。
 見栄を張っても、体の悲鳴は、止まりません。
「希望した職場じゃないじゃん」
 そんなため口、誰が聴くか。
 もう、恥も外聞もありません。
 とにかく、地雷を踏まないという一心でした。
 この人生の再出発から得た教訓は、人の一生の中で、少なくとも『岐路は二つ』あるということ。
 一つは「成長し続ける思春期」
 次は「衰退し始める定年前後」
 不調が現れ始める60歳前後こそ、今までの自分とは異なる体質の変化、予想もつかないことがありうるということを。
 この時期は、けっして無理をしないことです。
 徹底的に、仕事、生活、習慣など、あらゆる人生の側面を見直して、リセットしていきましょう。
 一つ、一つ、時間と手間は、かかるでしょうが。
 でないと、取り返しのつかないことになるかもしれません。これは脅しではありません。
 事実です。
 現役の延長が定年ではなく、善かれ悪しかれ、新しい人生の始まりが定年前後。体が大きく変わることを前提条件に、見直すのが定年の時期なのです。
 定年とは、単に後輩に道を譲るだけでなく、本人の健康問題からも先人が定年という制度を設けたのかもしれません。私もようやく定年の裏の意味が見えてきた次第です。
 この時期を、真剣に、かつ妥協しないで、乗り切る覚悟が必要です。
 そこで、第四の教訓。
「定年前後、命を守る視点で、一切をリセット」
 勇気をもって、過去に「さよなら」しましょう。
 慎重に第二の人生の「第一歩」を踏み出しましょう。
 決断が必要です。
 男女に関係なく、60台の壁を乗り越えるために。壁は、誰にでも、公平にやって来るのですから。
 好きなことをする楽しみと、自分を大きく世の中に生かす喜びを大切に。
 悔いのない人生へ、新しい一歩を。 
 末永く、羽ばたく時は、今。 


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