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横浜市歌の話

【元横浜市民が市歌を懐古しているだけの雑文】

 人生の2/3以上を近畿地方で過ごしている。

 どこから見ても立派な関西人――と言いたいところだが、厳密には違う。実家はもともとライトな転勤族で、私は小学校を3校通っている。
 1校めに入学したのは、神奈川県横浜市の学校だった。

 横浜に住んでいたのは、2歳から8歳までのことだ。言語の骨組みが決まるとされる「言語形成期」の前半である。初めてことばを覚えたのが横浜だ、といえば解りやすいかもしれない。
 だから――と言って良いのかは判らないのだが――生まれも育ちも大阪だといったような人からしてみれば、私の話す言葉は「共通語」に聞こえるらしい。何年かに一度、なんの前触れもなく「関東の出身ですか?」と訊かれることがあるのだが、そのたびに「言語形成期が横浜です」と答えている。私の主観では、一から十まで関西弁を話しているつもりでいるのだが。(言語形成期という言葉が一般に馴染みの無い用語であることは承知しているのだが、他に良い表現が見当たらないので押し通している。話のネタにはなる)

 出身はどこですか、と訊かれたら、今の実家がある場所を答えることにしている。が、生まれ育った土地だというわけでもないので、答えながらも若干の違和感がある。どちらかといえば、そこは思春期を過ごした土地だ。
 同様に、「ふるさと」を挙げてくださいと言われたら、たぶん答えられない。9歳で大阪に引っ越して以降はずっと近畿圏に住んでいるから、「関西人です」と漠然と名乗るのがしっくりくる。

 ご覧の通り、出身地に関しては半端なアイデンティティしか持っていないのだが、そんな私に、妙にしっかりと根を張っている歌がある。

 横浜市歌である。

 横浜市で育ったかどうか、ということを、「横浜市歌が歌えるかどうか」で判断する――というネタがある。ネタレベルの話なのだが、実際問題、それなりの精度で判別できるらしい。横浜市の子供は市歌を学校で教わり、校歌くらいの頻度で歌いながら育つのである。私が横浜に住んでいたのはもう20年以上前のことなのだが、なんと今でもそうらしい。横浜市のHPに、「現在も市立の小学校では、校歌とともに歌唱指導されています」と明記されていた。

 今でも覚えている。プリント2枚分に分けて大きく印刷された横浜市歌の楽譜が配られて、それを真ん中で貼りあわせ、更に裏からオレンジ色の画用紙を貼って――そうして楽譜を見開きの形に加工して、授業で使っていた。表紙に絵も描いたはずだ。
 実家の自室でずっと保管していたのだが、去年あたりで部屋の大掃除をしたので、そのとき処分してしまったかもしれない。もしかしたら、捨てかねてまだ保管してあるかもしれないけれど。

 子供がわけもわからないうちから歌う文語表現というのは、たぶん「蛍の光」あたりが一般的なのではないかと思う。だが、私の場合は間違いなく「横浜市歌」が先だった。「あらゆる国より舟こそ通え」は恐らく命令表現だと理解していただろうし、「この横浜にまさるあらめや」なんて、当時の自分が理解していたかはかなり怪しい。きっと授業で教わっただろうと思うのだが、残念ながら記憶に無い。

 大人になってから知ったのだが、作詞はかの森鴎外だった。それは大切にもされるだろう、と妙に納得する。

 横浜を離れて2校めの小学校に転校したとき、音楽の授業で「市歌」を扱わない、どころか式典ですら歌わないことに衝撃を受けた記憶がある。だが、恐らく全国的にはそのほうがメジャーなのだろう。ちなみに3校めでも歌わなかったし、そもそも市歌が存在していたのかどうかすら知らない。いずれの街にも。
 そういえば数年前、秋田県に「秋田県民歌」なるものが存在することを知って、ひどく親近感を抱いたものである。

 横浜に住んでいたのは本当に幼い頃のことで、横浜市自体に思い出があるかといえば、決してそういうわけではない。当時の記憶は、幼稚園と小学校と、幼児が歩いて行けるようなスーパーやら公園やらお豆腐屋さんやらで完結している。小さな世界である。

 けれど、わが日の本は島国よ、と歌うとき、確かに懐かしさを覚える。兎追いしかの山、と歌うよりもずっと。
 これは確かに、私がランドセルを背負っていたような頃に、繰り返し歌って刻みこまれた歌なのだ。

 私にはふるさとが無い。
 けれど、ふるさとの歌、は息づいているのである。

【参考:横浜市HP「横浜市歌について」】

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