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桜に会えない話

【身近に桜の木がないことを嘆いていただけの雑文】

 そういえば、桜を見ていない。

 異動やら出張やら遠征やらなにやらで、3月は怒濤の勢いで過ぎ去っていった。気がついたときにはマフラーを外し、冬物コートを仕舞い、着古したニットを処分し、ジャケットの下にはシフォンブラウスを着るようになっていた。綺麗な袴や花束が駅を彩っていたかと思えば、真新しいランドセルが信号待ちをするようになっていた。

 4月。いつの間にか、春である。
 そして今更のように、気がついた。
 ――そういえば、桜を見ていない。

 この街に引っ越してきて2度目の春である。
 いわゆる都会と呼んで良い街だ。普段の買い物には事欠かないし、飲食店も多いし、夜遅くでも明るい。電車でどこへでも行けるから、車も自転車も持っていない。
 都会だから、緑が少ない。とはいえ街路樹はあるし公園もある。だから、気にしたことはなかった。それゆえに気づかなかった。
 普段通る道に、桜がないのである。

 休日はともかく、平日は家と会社の往復が基本である。家を出て駅に行き、駅から会社に行く。その途中で目にする木々は、どれもまだ枝のままだ。
 遅いだとか蕾だとか満開だとか。そういう話題は、もっと南側で咲いているものだとばかり思っていた。だって、普段目にする街路樹はまだみんな裸なのだし。
 違うのだ。桜が咲いていないのではない。私の行動圏に存在しなかったのである。私はそもそも、桜の木を見てすらいなかったらしい。

 思えば前の家からは、桜の木が見えていた。
 ベランダから少し身を乗り出すと、1本だけぽつりと見える木があった。これが桜であった。不規則な生活をしていた当時の私にとって、貴重な季節の風物詩だった。私の季節感はこの桜と、街角の金木犀で成立していたようなものである。しかしある年、ばっさりと伐られてしまって落胆した。確かに、変な場所に生えているなとは思っていたけれど。

 それからしばらくして、私はその街から引っ越した。
 引っ越しが一昨年の秋で、その半年後が去年の春である。
 去年の春、私はどこかで桜を見ただろうか。玄関に桜柄の手ぬぐいを飾っていたことは覚えているし、大好きなバンドのワンマンで桜の曲を聴いたことは覚えているのだけれど。旅先で咲きかけの桜を見た記憶はあるのだけれど。あの淡い色を、その花を、私はこの街で目にしただろうか。
 記憶にない。よく覚えていない。
 本当に見ていないのかもしれないし、意識していなかっただけなのかもしれない。

 お花見日和だといわれたこの週末、私は普段通りに買い物に出かけた。普段と違ったのはただひとつ。桜を見よう、と意気込んでいたことだ。
 桜を見かけないといっても、それは平日の行動圏内で、というだけのことだ。近所には学校だって公園だってある。道を少しだけ逸れれば、桜が咲いているはずの場所はいくらでも心当たりがあった。
 家を出て、意気揚々とスーパーに向かう。遠くに公園が見えたので、少し目を凝らしてみる。――見えた。淡いピンク色。ほら、やっぱり咲いてるじゃないか。都会だって捨てたものではない。我が街にもちゃんと、桜前線はやってきていたということだ。
 上機嫌で買い物をする。
 帰り道、今度は少し道を変えることにした。件の公園の、真横を通って帰ることにする。

 私はまばたきをした。
 桜が――満開である。

 いつも通りに子供たちが遊んでいて、近所の人が散歩している。けれどいつもと比べて、座っている人が多いようだ。ベンチに腰掛けたり、シートを敷いたり。お花見である。ちゃんとお花見として成立するほどに満開で、そしてそれほどの本数があった。
 私は思わず写真を撮った。
 咲いているならここだろうと考えてはいたが、ここまでたくさんの桜に会えるとは思っていなかった。

 普段は通らない道である。いや、まったく通らないわけではないのだが、特別な用事や目的がないと通らない道である。桜が咲いている期間を考えると、意識的に狙っていかなければ、この景色は見られない。

 そうか。
 都会で季節を感じるのはなかなか大変なのだな。
 ひらりと舞う花びらを眺めながら、私はひとり頷いた。

 なにはともあれ、今年は無事に桜に会えた。
 来年もまた、平日の道を逸れて会いに来るとしよう。
 会いに来なければ会えない季節感というものも、特別で良いものかもしれない。

 4月。都会の春が始まる。

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