半熟卵の崩しかたの話
【トッピングの卵を崩すタイミングについて力説しているだけの雑文】
トッピングの卵って魅力的だ。
固まりかけの生卵も良い。ぷるぷるの温泉卵も良い。丼に彩りを添えるのも良い。サラダにボリュームを加えるのも良い。しかし個人的には、麺類との相性を推したい。
月見うどんの真ん中に陣取っている姿は芸術だ。
カルボナーラのてっぺんに鎮座して、粉チーズでおめかししている姿は素敵だ。
激辛ラーメンの隅に沈んでいる姿は、さながら砂漠のオアシスである。
さて、麗しきこの卵たち。出会った瞬間、選択を迫られる。
いつ崩すか、である。
この手の卵は大抵黄身がとろっとしている。生卵は言うに及ばず、温泉卵でも大抵そうだ。つまり箸を入れた瞬間、とろりと黄身が溢れて麺に絡みつく。あるいはスープに溶けていく。
ということは、だ。味が変わる。そしてそれは不可逆だ。卵を割ってしまったが最後、割る前の姿には戻せない。月見うどんはうどんに戻れないのである。覆水盆に返らず、覆黄身膜に返らず。
だから問う。
卵はいつ割るべきか?
割って混ぜてこそ料理が完成する、というのも一理ある。黄身と白身を混ぜきってしまったあとにこそ、作り手の意図した味が現れるのだと。
一方で、味変への欲望も捨てられない。そもそも卵はオプションだ。うどんもパスタもラーメンも、卵が必須かといえばそうではない。であるならば、いったん卵なしの味を楽しみたいというのが人情である。途中まで食べて、そのあと割れば二度美味しい。人間は欲張りなのである。
ちなみに私は断然「途中で割る」派だ。
更に言えばわりと神経質なので、慎重に割る。
例えば月見うどんの卵を割るとする。流れた黄身は麺に絡まるが、いくらかは確実に、だしに溶ける。そしてうどんのだしは、必ず全部飲み干すとは限らない。つまり黄身の一部が無駄になる。これは宜しくない。
回避するにはどうするべきか。れんげにすくってその上で静かに割る、これ一択である。少しずつうどんにつけて食べれば無駄がない。
最近感動したことがある。名古屋の某有名店で食べた味噌煮込みうどんだ。
鍋焼きうどんのごとく土鍋で供されるのだが、この土鍋、蓋に穴が空いていない。ひっくり返して取り皿として使うことが推奨されているのである。そしてうどんには、生卵が割り入れられている。
取り皿と生卵。完璧だ!
卵を鍋の中に残したまま、半分ほど食べ進める。良い感じに白身がゆるく固まったら、取り皿たる蓋に卵を取り分ける。そこでようやく黄身を割る。どれだけ潰しても、鍋のうどんは無事だ。取り皿のうどんには黄身をたっぷりまとわせられる。
完璧だ。完璧である。卵の最適解だ。
あらゆる料理にトッピングされている卵を余さず存分に味わうために、それを崩すタイミングに心を砕く。大袈裟だろうか。大袈裟で良いのである。食事はエンタメだ。
満を持して卵を割った瞬間、黄身が固いことに気づいて拍子抜けすることだってあるのだが。
それはそれで、人生である。
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